メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第260号「四時節宣」4(内景篇・身形)

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆


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  第260号

    ○ 「四時節宣」(内景篇・身形)

       ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説
      ◆ 編集後記


           

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 こんにちは。「四時節宣」の続きです。
 

 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)


 (「四時節宣」 p77 上段・内景篇・身形)


        〓仙曰夏一季是人脱精神之(〓月瞿)
  時心旺腎衰腎化爲水至秋乃凝及冬始堅尤宜
  保惜故夏月不問老幼悉喫煖物至秋即不患霍
  亂吐瀉腹中常煖者諸疾自然不生血氣壯盛也

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)


  〓(月瞿)仙曰、夏一季是人脱精神之時、心旺腎衰、腎化爲水、

  至秋乃凝、及冬始堅、尤宜保惜。故夏月不問老幼、悉喫煖物、

  至秋即不患霍亂吐瀉、腹中常煖者、諸疾自然不生、血氣壯盛也。


 ●語法・語(字)釈●(主要な、または難解な語(字)句の用法・意味)


  特になし


 ▲訓読▲(読み下し)


  〓(月瞿)仙(くせん)曰(いは)く、

  夏一季(なついっき)は是(こ)れ人(ひと)

  精神(せいしん)を脱(だっ)するの時(とき)なり、

  心旺(しんおう)し腎衰(じんおとろ)ふ、

  腎(じん)化(か)して水(みず)と爲(な)る、

  秋(あき)に至(いた)りて乃(すなは)ち凝(こ)る、

  冬(ふゆ)に及(およ)んで始(はじめ)て堅(かた)し、

  尤(もっと)も宜(よろし)く保惜(ほせき)すべし。

  故(ゆへ)に夏月(かげつ)老幼(ろうよう)を問(と)はず、

  悉(ことごと)く煖物(だんぶつ)を喫(きっ)す、

  秋(あき)に至(いた)りて即(すなは)ち

  霍亂(かくらん)吐瀉(としゃ)を患(わずら)はず、

  腹中(ふくちゅう)常(つね)に煖(だん)なる者(もの)は、

  諸疾(しょしつ)自然(しぜん)に生(しょう)ぜず、

  血氣(けっき)壯盛(そうせい)なり。


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   「note」の解説ページ 

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 ■現代語訳■


  〓(月瞿)仙が説くには、

  夏は人の精と神とが虚脱する時季である。

  心(しん)が旺んにして腎は衰え、

  腎精は化して水となる。

  その水は秋に到って凝り、冬に及んで固くなってしまう。

  ために夏の間に保護し惜しまなくてはならない。

  ゆえに夏月は老若を問わず、全て暖かい物を摂取すれば、

  秋に到って霍亂で嘔吐や下痢を患うことがない。

  腹中が常に暖かい者は、諸病は自ずから生じることなく、

  血気は旺盛である。


 ★ 解説★

 「四時節宣」の続きにして最後の部分です。前号部分に引き続き、夏の養生の大切さを別の引用で説いています。そして前号の前半部分と同様、暖かいものを摂ることの大切さを説いています。

 おもしろいことに、前号部分と共通のある一句がありますが、どこが同じでしょうか?そうです、途中「心旺腎衰 心旺(しんおう)し腎衰(じんおとろ)ふ」の部分ですね。

 前号部分はこの句から精を漏らすことを戒める流れに繋がったのですが、こちらは別の流れに繋がっていることがわかります。ただ趣旨は同じですよね。


 原文から読むと読みどころがいくつかあり、例えば冒頭の「精神」


  夏一季是人脱精神之時

  (夏一季は是れ人精神を脱するの時なり)


 とあります。この「精神」、現在の日本語で考えると「精神的なものですよ」などと「心」「気持ち」というニュアンスで使われていますが、今号部分の「精神」は「気持ちが虚脱する」のではなくて、今まで何度も登場した、「精」と「神」とのことを言っていると考えられます。つまり具体的な物質的な世界も含めての虚脱でしょう。


 他にもいくつか医学用語ではありませんが味わい深い語があるのですが、ここでは解説を割愛します。原文で読むと文章の綾がよくわかり、なるほど、こんな表現もあるのかと、文の作者さんの、また漢字そのものの表現の深さを実感することができます。


 前号で『訂正 東医宝鑑』の誤りであろう部分を指摘しましたが、ここでも原本と違う部分があり、それは「秋乃凝及冬始堅」の「凝」で、これを左を「石」で「礙」と記載しています。

 「礙」は「固まる」などの意味ではなく「さまたげる。進行を邪魔して止める。」などの意味があるのですが、通常「固まる」という意味では使わないようです。

 なぜ『訂正』の編者さんがわざわざ原本の「凝」を「礙」に変えたのか、あえて変えたのか、それとも誤字なのか、誤字だとしたら編者さんの誤りなのか、それとも彫り摺りの段階での錯誤なのか、今となってはわかりにくいところです。

 ちなみに訓読は「礙ル」としているので「コル」と訓んでいると思い、意味としては「集まる、固くなる」という意味を採用していることには違いないと思います。

 これは前号部分のような誤りとは断定しにくいですが、原本と違ったこのような箇所もあるため、『訂正』を読む時は原本の確認は必須ではと思います。


 ◆ 編集後記

 「四時節宣」が読み終わりました。次は次の項目「先賢格言」を読む予定です。
                     (2018.03.31.第260号)
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