メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん―古典から東洋医学を学ぶ―』第9号バックナンバー
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん―古典から東洋医学を学ぶ― ◆
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第9号 目次
○ 原文読解 「集例」その1
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こんにちは。前号まで、単発のつもりが5号にわたり「毒・解毒」のコラム
をお届けし、はからずしもチャングム同様毒薬の話題から始まるメルマガに
なってしまいました。
ぶっそうな話が続きましたので、毒の話題はまた折に触れてお届けすること
にし、再びメインストリームに話題を戻したいと思います。
すでに本文の一番初めの部分をご紹介しましたが、ここはさらにその前、本
文前に配置された「集例」という文をご紹介したいと思います。
なぜかと言いますと、ここには編者さんによる東医宝鑑のコンセプトがまと
められており、まずこれを読むことで全体を貫く発想が読み取れ、細部を読
む際にもより深く読めるようになると思うからです。
そのコンセプトがどのようなものか、本文自身に語ってもらうべく、早速本
文を読んでみましょう。少し長めの引用で、また内容も難しい部分ですが、
コンセプト把握のために、翻訳部分だけでもお読みいただきたいところです。
◆原文◆(p.69 上段・内景篇 巻一 集例)
臣謹按人身内有五蔵六府外有筋骨肌肉血脉
皮膚以成其形而精氣神又爲蔵府百體之主故
道家之三要釋氏之四大皆謂此也黄庭經有内
景之文醫書亦有内外境象之圖道家以清靜修
養爲本醫門以藥餌鍼灸爲治是道得其精醫得
其粗也今此書先以内景精氣神蔵府爲内篇次
取外境頭面手足筋脉骨肉爲外篇又採五運六
氣四象三法内傷外感諸病之證列爲雜篇末著
湯液鍼灸以盡其變使病人開卷目撃則虚實輕
重吉凶死生之兆明若水鏡庶無妄治夭折之患
矣
▼断句▼
臣謹按、人身内有五蔵・六府、外有筋骨・
肌肉・血脉・皮膚以成其形、
而精・氣・神又爲蔵府・百體之主。
故道家之三要、釋氏之四大、皆謂此也。
黄庭經有内景之文、醫書亦有内外境象之圖。
道家以清靜修養爲本、醫門以藥餌・鍼灸爲治。
是道得其精、醫得其粗也。
今此書、先以内景、精氣神・蔵府爲内篇。
次取外境、頭面・手足・筋脉・骨肉爲外篇。
又採五運六氣・四象三法・内傷外感諸病之證、
列爲雜篇。末著湯液・鍼灸以盡其變。
使病人開卷目撃、則虚實・輕重・吉凶・死生之兆、
明若水鏡、庶無妄治夭折之患矣。
▲訓読▲
臣謹んで按ずるに、人身は内に五蔵六府有り、
外に筋骨、肌肉、血脉、皮膚有り、以て其の形を成す。
而(しこう)して精氣神又た蔵府百體の主と爲る。
故に道家の三要、釋氏の四大、皆此を謂(い)う也。
黄庭經に内景の文有り、醫書に亦た内外境象の圖あり。
道家は清靜修養を以て本と爲し、醫門は藥餌鍼灸を以て治を爲す。
是れ道(どう)は其の精を得、醫は其の粗を得る也。
今此の書、先に内景、精氣神、蔵府を以て内篇と爲し、
次に外境、頭面、手足、筋脉、骨肉を取りて外篇と爲し、
又五運六氣、四象三法、内傷外感、諸病の證を採り、
列(つら)ねて雜篇と爲し、
末に湯液、鍼灸を著し、以て其の變を盡す。
病む人をして卷を開き目撃せしめれば、
則ち虚實、輕重、吉凶、死生の兆、明らかなること水鏡の若し。
庶(こいねが)わくは妄治、夭折の患無からんことを。
●句法・語釈●
・句法
謂此 これをいう、wei4 ci3、これを言う、呼ぶ、名づける
使 しむ、せしむ、shi3 使役の用法、~させる
庶 こいねがわくは、shu4 期待、接近の用法、どうか~でありたい、
ぜひ~してほしい
矣 (い)、yi3 語末で、置き字として訓読しないのが普通。強い語気の
強調語句。東医宝鑑でも常用句ですが、医書に限らず通
常の漢文でも頻出の語です。
・語釈
臣 じん、chen2 君主などに対する自己の謙称。私
三要 さんよう、san1 yao4 精・気・神の三
四大 しだい、si4 da4 地・水・火・風の四
黄庭経 こうていきょう、huang2 ting2 jing1 道書名、西暦317年以前
の作とされる。晋代、将軍魏舒の妻、魏夫人と作と伝えられる。
「黄庭内景経」「黄庭外景経」などに分かれる。
清靜 せいせい、qing1 jing4 静かに落ち着いているさま、
道家の目指す境地の名称でもある。
精・粗 せい・そ、jing1・cu1 微細・粗大の対比。ここでは道家が
「精」などより微細な領域を対象に扱い、
医科が身体各部などより粗大な領域を扱い
それぞれの操作、享受することを指すと
考えられます。
變 変。へん、bian4 辨に通じる。変化、区別、識別
水鏡 すいきょう、shui3 jing4 水と鏡。事物をはっきりと映す象徴。
曇りのない鏡。
■現代語訳■
私が謹んで考えるには、
人間の身体は、内には五臓六腑があり、
また外には筋骨、肌肉、血脈、皮膚があって、
その形態を形作っている。
そして精、気、神がまた臓腑や身体各部の源である。
道家が「三要」、また仏教家が「四大」というのも、
これに基づいているのである。
黄庭経に「内景」という表現があり、
医書には身体の内と外の仕組みを表した図が存在する。
道家は清静の修養をもって根本とし、
医家においては薬餌や鍼灸をもって治療の資とする。
それで道は微細な領域を享受し、
医は粗大な領域を享受する。
今この書は、先ず内景の精、気、神、
また各臓腑についての記述を「内篇」とし、
次に外形の頭部や顔面部、また手足、
筋脈、骨肉などを扱い「外篇」とし、
また五運六気、四象、三法、内傷や外感、
またその他諸疾患を採り上げ列挙し「雑篇」とし、
最後に「湯液」「鍼灸」を著して、全著を終える。
病人にそれぞれの巻を開いて閲覧させることで、
病の虚実や軽重、吉凶、また生死の兆候について
明らめ得ることは、水鏡の如くである。
どうか、誤治して夭折させる禍のないことを願う!
★解説★
この文で人体の仕組みを考察しながら、それに絡めたこの書の篇や章建ての
構成とそのコンセプトが述べられています。いかがでしょうか、翻訳部分を
お読みいただくだけでも、東医宝鑑の基本コンセプトと全体の構成を把握で
きるのではと思います。
そしてまた各篇を編纂するにあたって、念頭に常に「道家」が意識され、医
家と対照させて論を進めている点も読み取れます。
すでに読んだ本文の冒頭に「孫真人」の著の引用が置かれていたのも、この
点と無関係ではないでしょう。東医宝鑑を読み進める上で、この「道家」の
視点は外せません。ここを読みますと、そもそもの各篇の構成も道家の影響
を色濃く受けていることがわかります。
医学の体系と治療を語るのに、宗教や思想などの体系を持ち出すことは、現
代的な視点から見ると噴飯ものかもしれませんが、この点を時代の古さ故の
欠点として切り捨ててしまうか、また尊重しながら読みまた活用するかで、
東医宝鑑から享受できるものが全く違ってきてしまうと考えます。
さらに興味深いことは、末尾に「病人にこれを読ませる」と述べている点で
す。患者が自身の病状を把握することが重要だと考えているようで、この書
は医師が読む本であるとともに、患者にも読ませることを意図して編纂され
てあることがここに明記されているわけです。
今で言うインフォームド・コンセントの走りのような記述で、本文と関係な
いところですので見過ごされがちと思いますが、これもまた東医宝鑑を読む
上、考える上で見落としてはならない重要な部分であると思います。
次号はまた「集例」の今回の続きの部分を読み進めてみましょう。
(2011.01.17. 第9号)
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん―古典から東洋医学を学ぶ― ◆
発行者 T touyihoukan@gmail.com
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