メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん―古典から東洋医学を学ぶ―』第154号「肺虚藥」概説と処方「人參黄〓(くさかんむり氏)散」─「虚労」章の通し読み ─

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  第154号

    ○ 「肺虚藥」概説と処方「人參黄〓(くさかんむり氏)散」
      ─「虚労」章の通し読み ─

         ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説 
      ◆ 編集後記

           

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 こんにちは。「虚勞」の章の通し読み、次の項目「肺虚藥」と処方解説です。


 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)


 (「脾虚藥」 p449 下段・雜病篇 虚勞)


 肺虚藥

    虚勞證咳嗽痰盛氣急或唾血此爲肺虚宜用
    人參膏獨參湯二方見氣門人參黄〓散團參飮子(〓くさかんむり氏)
   方見咳嗽保和湯方見下


  人參黄〓散(〓くさかんむり氏)

       治虚勞客熱潮熱盜汗痰嗽唾膿血鼈
       甲酥灸一錢半天門冬一錢秦〓柴胡(〓くさかんむり九)
   地骨皮生乾地黄各七分桑白皮半夏知母紫〓(〓くさかんむり宛)
   黄〓赤芍藥甘草各五分人參白茯苓桔梗各三(〓くさかんむり氏)
   分右〓作一(〓坐りっとう)
   貼水煎服得效

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)


 肺虚藥

  虚勞證、咳嗽痰盛、氣急或唾血、此爲肺虚。

  宜用人參膏、獨參湯、二方見氣門。

  人參黄〓(くさかんむり氏)散、團參飮子、方見咳嗽。

  保和湯、方見下。


 人參黄〓(くさかんむり氏)散

  治虚勞、客熱潮熱、盜汗、痰嗽唾膿血。

  鼈甲酥灸一錢半。天門冬一錢。秦〓(くさかんむり九)、柴胡、
  
  地骨皮、生乾地黄各七分。

  桑白皮、半夏、知母、紫〓(くさかんむり宛)、

  黄〓(くさかんむり氏)、赤芍藥、甘草各五分。

  人參、白茯苓、桔梗各三分。

  右〓(坐りっとう)作一貼、水煎服。『得效』


 ●語法・語(字)釈●(主要な、または難解な語(字)句の用法・意味)


  特になし


 ▲訓読▲(読み下し)


 肺虚藥(はいきょやく)

  虚勞(きょろう)の證(しょう)、咳嗽痰盛(がいそうたんせい)、

  氣急(ききゅう)或(ある)ひは唾血(だけつ)するは、

  此(こ)れ肺虚(はいきょ)たり。

  宜(よろ)しく用人參膏(にんじんこう)、獨參湯(どくじんとう)、

  二方(にほう)氣門(きもん)に見(み)ゆ。

  人參黄〓(くさかんむり氏)散(にんじんおうぎさん)、

  團參飮子(だんじんいんし)、方(ほう)は咳嗽(がいそう)に見(み)ゆ。

  保和湯(ほわとう)、方(ほう)は下(した)に見(み)ゆ。


 人參黄〓(くさかんむり氏)散(にんじんおうぎさん)

  虚勞(きょろう)し、客熱(かくねつ)潮熱(ちょうねつ)、盜汗(とうかん)、

  痰嗽(たんそう)膿血(のうけつ)を唾(だ)するを治(ち)す。

  鼈甲(べっこう)酥灸(そきゅう)一錢半(いっせんはん)。

  天門冬(てんもんどう)一錢(いっせん)。

  秦〓(くさかんむり九)(しんきゅう)、柴胡(さいこ)、
  
  地骨皮(ぢこっぴ)、生乾地黄(しょうかんぢおう)各七分(かくしちぶ)。

  桑白皮(そうはくひ)、半夏(はんげ)、知母(ちも)、

  紫〓(くさかんむり宛)(しおん)、黄〓(くさかんむり氏)(おうぎ)、

  赤芍藥(せきしゃくやく)、甘草(かんぞう)各五分(かくごぶ)。

  人參(にんじん)、白茯苓(びゃくぶくりょう)、

  桔梗(ききょう)各三分(かくさんぶ)。

  右〓(坐りっとう)(みぎきざ)みて一貼(いっちょう)と作(な)し、

  水煎(すいせん)し服(ふく)す。『得效(とくこう)』


 ■現代語訳■


 肺虚薬(はいきょやく)

  虚労の証で、咳嗽が出、痰が多く、

  息切れ、または唾血する者は肺虚であり、

  人参膏、独参湯(二方は「気門」章参照)、

  人参黄〓(くさかんむり氏)散、団参飮子(処方は「咳嗽」章参照)、

  保和湯(処方は下参照)を用いるとよい。


 人參黄〓(くさかんむり氏)散(にんじんおうぎさん)

  虚労し、客熱、潮熱、盜汗あり、痰嗽、膿血を吐く者を治する。

  鼈甲を酥炙し一銭半。天門冬一銭。

  秦〓(くさかんむり九)、柴胡、地骨皮、生乾地黄各七分。

  桑白皮、半夏、知母、紫〓(くさかんむり宛)、

  黄〓、赤芍薬、甘草各五分。

  人参、白茯苓、桔梗各三分。

  以上を刻んで一貼とし、水から煎じて服用する。『得效』

 
 ★解説★
 
 前号までの「脾虚藥」に続き「肺虚藥」解説に入りました。五臓の順番としては順当に「脾肺」と来ていることになります。今号だけでこの項は読了です。

 まずは概説でその中に5つの処方が挙げられていますが、うち4つは他の項目に登場すると明記され、上に登場した「人參黄〓(くさかんむり氏)散」だけがここに記載されています。処方の観点からはそれだけ応用が広い処方であると言え、また症候の観点から見れば症状、症候、証候に応じて同じ処方が使えるということでもあるでしょう。

 東洋医学では「異病同治、同病異治(いびょうどうち、どうびょういち)」という言葉があり、病気が違っても治療法が同じ場合もあり、また反対に同じ病気でも治療法が異なる場合もある、という点を端的に示した言葉です。つまり病気を診るというよりは一人ひとりの状態、証を把握して治療法を施せば自然にそうなるということで、奇をてらって違う治療法を施すわけではないということですね。


 この項では先行訳は珍しく(?)だいたい良い訳ですが、肺虚薬の概説で「此爲肺虚」のところを「肺の弱いせいである」としています。

 「肺が弱いせい」としてしまうと「先天的に肺が弱い体質のせい」という感じに読めてしまいますが、ここではあくまで種々の要因により虚したために「肺虚」になったのであって先天的に弱いかどうかは別問題のはずです。

 そもそもこの部分は「虚労」の章でこの項は「肺虚薬」なのですから「肺虚」は主たる解説項目のはずで、それを「肺が弱い」としてしまうのは項目立ての意義が薄れてしまうようで、ここは「肺虚」のまま、またはどうしても訳すなら「肺が虚した」など元のニュアンスを残した方がよいのではと思います。

 もう一点面白い誤りがあり、これは誤訳ではなく校正ミスですが、処方の「人參黄〓(くさかんむり氏)散」の生薬が列挙される中に「黄〓(くさかんむり氏)」があり、そのうちの「〓(くさかんむり氏)」の漢字が左に90度回転した状態で印刷されてしまっています。

 これはかつて金属活字を使って活版印刷した印刷物ではたまにあったミスで、活字は一文字一文字ひろって組んでいくのですが、活字が小さいため側面に溝があって、どの方向が上になるのかその手触りでわかるようになっているのですね。

 それがまれに方向が間違ったまま(横を向いたり下を向いたり)組まれてしまうことがあるのです。

 本来は出版までに何度か校正や試し刷りをしてそうしたミスをチェックしていくのですが、このようにチェックをくぐり抜けてそのまま出版されてしまうことが結構あったのです。特にこの場合のように難しい漢字などはチェックする人達も読めない場合が多く、方向が変わっても目につきにくいことが多いのです。

 パソコンで文字が自動で組める現在ではこのようなミスが皆無になって、(変換ミスなどは増えましたが)当時、書籍の印刷と発行に多大な設備と手間がかかった時代の先達のご苦労が偲ばれるミスでもあります。

 なにしろ今はたった数万円のパソコンでこの東医宝鑑に登場するような難しい字でもほとんどが、しかもたった一人でも入出力ができる時代ですからね。同じ設備を活版印刷で持つとしたら、数百万円以上、場合によっては数千万円の資金と多大な人件費とが必要なはずです。

 このような先行訳を活字で印刷・出版されたご苦労は、経済的なものも含めて並大抵ではなかったはずで、いつもこのメルマガでは先行訳の誤りを指摘しつつ、かつそれは発行に関わった先達の学恩に報いるためでもあると書いていますが、この横向き文字ひとつからもこの本の出版にかかったご苦労が偲ばれるという、私にとってはちょっとホロリとさせられるミスです。
 

 ◆ 編集後記

 今年配信を再開してから順調に週一配信が続けられています。
 システムが新しくなったパソコン君もだいぶ変換文字を覚えてくれて、少しずつ前と同じスピードで執筆ができるようになってきています。

 上に書いたような活版印刷の時代を考えると、自分のよく使う文字に自動で変換してくれ思い通りの文字列が作れ、しかも自宅でプリントアウトもでき、またこうしてメルマガとして不特定多数の方にお送りすることさえできる、というこのパソコンやネットの環境がいかに凄いかを実感します。

 ただその分、便利になればなるほど置き去りになってしまうものもあるような気がしてしまうのは、私が古い人間だからでしょうか。

 パソコンで打つことに慣れると、結局書いているのは自分ではなくパソコンなのでは?ふとそんな気がすることがあるのですね。自分で考えて書いているはずの知識達が、何か上滑りして自分の中にしっかりと定着していないような気がしてしまうのです。

 パソコンは大いに活用しつつも、結局は自分の手で書いたものしか本当には自分のものにならないのでは?などと古いことを思い、最近はパソコン執筆とともに、より手書きをすることも増えている今日この頃です。

                    (2016.01.22.第154号)
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