メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第301号「精爲身本」(内景篇・精)
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第301号
○ 「精爲身本」(内景篇・精)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。前号で身形の章を完読し、今号から次の章「精」に入ります。
しばらく止めていた訓読も再開しますので、訓読を読みたい方にはそちら
もご活用いただけたらと思います。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「精爲身本」 p81 下段・内景篇・精)
精爲身本
靈樞曰兩神相薄合而成形常先身生是謂
精精者身之本也又曰五穀之津液和合而
爲膏内滲入于骨空補益髓腦而下流于陰股陰
陽不和則使液溢而下流于陰下過度則虚虚則
腰背痛而脛〓又曰髓者骨之充腦爲(〓やまいだれ夋)
髓海髓海不足則腦轉耳鳴〓〓眩冒(〓月行)
(〓やまいだれ夋)
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
精爲身本
靈樞曰、兩神相薄、合而成形、常先身生、是謂精。
精者、身之本也。又曰、五穀之津液、和合而爲膏、
内滲入于骨空、補益髓腦、而下流于陰股。
陰陽不和、則使液溢而下流于陰、下過度則虚、
虚則腰背痛而脛〓(やまいだれ夋)。
又曰、髓者、骨之充、腦爲髓海。髓海不足、
則腦轉、耳鳴、〓(月行)〓(やまいだれ夋)、眩冒。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
薄(せま-る)接近する、(つ-く)寄り付く
(※霊枢原文では「搏」(う-つ)。発音は同じbo。
誤字?)
▲訓読▲(読み下し)
精(せい)は身(しん)の本(もと)爲(な)り
靈樞(れいすう)に曰(いは)く、
兩神(りょうしん)相(あ)ひ薄(つ)きて、
合(ごう)して形(けい)を成(な)す、
常(つね)に身(しん)に先(さき)んじて生(しょう)ず、
是(こ)れを精(せい)と謂(い)ふ。
精(せい)は、身(しん)の本(もと)なり。
又(また)曰(いは)く、五穀(ごこく)の津液(しんえき)、
和合(わごう)して膏(こう)と爲(なり)て、
内(うち)に滲(しみ)て骨空(こつくう)に入(い)り、
髓腦(ずいのう)を補益(ほえき)して、
下(くだ)りて陰股(いんこ)に流(なが)る。
陰陽(いんよう)和(わ)せざるときは、
則(すなは)ち液(えき)をして溢(あふ)れて
下(くだ)りて陰(いん)に流(なが)れしむ、
下(くだ)ること過度(かど)なるときは
則(すはな)ち虚(きょ)す、
虚(きょ)するときは則(すなは)ち腰背(ようはい)
痛(いた)みて脛(すね)〓(やまいだれ夋)(さん)ず。
又(また)曰(いは)く、髓(ずい)は、
骨(ほね)の充(じゅう)、
腦(のう)は髓海(ずいかい)爲(な)り。
髓海(ずいかい)足(た)らざるときは、
則(すなは)ち腦(のう)轉(てん)じ、
耳(みみ)鳴(な)り、
〓(月行)(すね)〓(やまいだれ夋)(さん)じ、
眩冒(げんぼう)す。
■現代語訳■
精は身の根本である
霊枢経に説くには、
男女の神が相迫り、合わさって形と成る。
常に身に先んじて生じるのが精である。
精は身の本である。
また説く、五穀の津液が和合して脂(あぶら)となり、
内部に浸透して骨髄に入り、髓脳を補益し、
下って陰部に流れる。
陰陽が和合しない時には、津液は溢れて下部に流れ、
過度に下る時には虚し、虚すれば腰背が痛み、
脛がだるくなる。
また説くには、髓は骨を満たし、脳は髓海である。
髓海が不足であれば脳が動揺するため、耳鳴りがし、
脛はだるくなり、眩暈がする。
★ 解説 ★
新しい章「精」の冒頭の項目「精爲身本」です。
初めに「靈樞曰」と黄帝内経霊枢からの引用であることが明示されています。
ところが「又曰」とあって合計3つの部分からの引用であり、さらにどれも
元の霊枢のどの篇からの引用であるかの明記がありません。
霊枢で見るとそれぞれ違った篇からの引用となっています。
かつての医師には黄帝内経は必読書であったと思い、ある程度の暗唱はでき ていたと思いますので、往年の医師でしたらこの記述に接すれば、どれがど の篇からの引用であるか、だいたいわかったのかもしれません。
ただ、現在伝わっている霊枢と文が微妙に違うところがあったり、細かい部 分で興味深い読みどころがあるのですが、ここでは解説を省略したいと思い ます。ご興味おありの方は霊枢との比較などしていただけたらと思います。
そして、久しぶりに先行訳の誤り情報を記載したいと思います。
しばらくの間、先行訳に読解部分そのものが省略されていて翻訳がなかったため先行訳の訂正情報も書けませんでしたが、これからまた先行訳にも訳がある部分に入りますので、先行訳をお持ちの方のためにも、再び折に触れてこの記事も書いていきたいと思います。
先行訳ではまずこの項目で、冒頭の「靈樞曰」の部分の訳出がありません。
ですので先行訳だけを読むとこの項目がどの古典からの引用であるかわからず、あたかも東医宝鑑の創出文章であるかのように読めてしまいます。
また、冒頭に「靈樞曰」がないためでもあるのでしょう、この項目が3つの部分からの引用であることの明示であるところの「又曰」の部分もあいまい に「また」としか訳していず、一つながりの文章であるかのように読めてし まいます。
これはやはり「靈樞曰」の部分はどうかんがえても省略してはいけないところと思いますが、いかがでしょうか。
内容に関しまして、いくつか問題点があるようですが、まず、冒頭の部分
「兩神相薄、合而成形」の部分を「両神が互いに合わさって形体をなし」と訳しています。
ここだけでもいくつか問題があるのですが、一番大きな問題は冒頭「兩神」 をそのまま「両神」と訳していることではと思います。これではなんのことかよくわかりません。
この場面は懐胎によって身体が形成される過程を語っているのですから、「両」は「男女」の「両」ですよね。ですから「両神」とそのまま訳すこと は誤訳ではありませんが、わかりやすい訳としてはこの部分を噛み砕いて訳 す必要があるように思います。
さらにもう一点だけ取り上げますと、二つ目の引用、
五穀之津液、和合而爲膏、
(中略)
陰陽不和、則使液溢而下流于陰
の部分をこう訳しています。
一般的に五穀百米の津液が和合して膏液となり、
(中略)
万一、陰陽が合わなければ、その膏液はあふれて陰部から流れ出し、
訳語の選択などにも問題があるのですが、大きな問題として、この翻訳に論理的な整合性を持たない部分があるであろう点を読み取ることができますでしょうか?
原文の論理構成はこうなっています。
五穀の津液が和合して膏となる
↓
陰陽が和せざれば、液が溢れて下に流れる
ですね。
先行訳は「膏」を「膏液」と訳して、下の「液が溢れて」の「液」もこの
「膏液」だと解釈し、そのような論理で解釈し訳していることが読み取れます。
でも、原文では、
五穀の津液が和合すると膏となる
と言っているのですから、反対に五穀の津液が和合しなければ、この「膏」はできない、と言っているということにもなりますよね。
それが先行訳では、そのできないはずの「膏」が、和合しない場合にもできてしまっている前提で、「陰陽が合わなければ、その膏液はあふれて陰部から流れ出し」としています。
つまり、陰陽が和合しなければできないはずの「膏」が、合わない場合にも「その膏液」としてできてしまっていることになっています。これは論理的におかしいですよね。
後半の「液」は「膏」を指しているのではなく、冒頭の「津液」、和合する前の「液」を指していると読むのが自然ではないでしょうか?
これだけで長くなりましたのであとは省略しますが、先行訳にはこれ以外にも多くの問題点があるようで、先行訳を読まれるには、最低でも原文との比較は必須と思います。ところが先行訳には原文の記載がないのでそれをするのに不便なのですね。
私の訳においてもしかりで、おそらくどこかに誤りなどあるかもしれません。それを補うために原文を記載して、原文からの吟味をお願いしているのですね。
東医宝鑑に限らず医書の翻訳全てにおいて言えることと思い、翻訳だけを鵜呑みにせず、原文を元に読みまた思考、治療に活かすことができるレベルに達するまで学習をしたいものと思い、少しでもそのお手伝いをこのメルマガができればと執筆を続けている所存です。
◆ 編集後記
ようやく身形の章を完読し、新しい章に入りました。久しぶりに解説が長くなりましたが、詳細に読んだらこの何十倍の文量が必要なほどの項目です。
久しぶりに先行訳の情報など書きましたが、先行訳をお持ちでない方は飛ば し読みなさるなど、取捨選択して読んでくだされば幸いです。
身形の章は引き続き書籍化の原稿整理をしています。
そもそも、身形の章を読み始めたのは、読者さまからのお便りをいただき、この章を読みたいというリクエストに沿ってのことだったのでした。
その時は気づかなかったですが、今こうして原稿整理をしていると、飛び飛びに読んでいたら書籍化などいつのことになるやらわからないほどの先になるところ、初めからまとまって読んだことによりそれが可能になったことに、何か大きな計らいを感じます。
もちろんまだほんの一部を読んだだけで完訳は程遠いですが、一部だけでも形にしておくことにも意味があるでしょう。完訳を目指しつつ、身形の章書籍化に向けて鋭意原稿執筆中ですので、そちらもお楽しみにしてくだされば幸いです。
(2019.01.27.第301号)
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