メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第318号「煉精有訣」(内景篇・精)3
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第323号
○ 「煉精有訣」(内景篇・精)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。「煉精有訣」の残りです。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「煉精有訣」p82 下段・内景篇・精)
煉之之訣須半夜子時即披衣起坐兩
手搓極熱以一手將外腎兜住以一手掩臍而凝
神于内腎久久習之而精旺矣眞詮〇西蕃人多壽
考毎夜臥常以手掩外腎
令温煖此亦一術也彙言
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
煉之之訣、須半夜子時、即披衣起坐、兩手搓極熱、
以一手將外腎兜住、以一手掩臍、而凝神于内腎、
久久習之、而精旺矣。眞詮。
西蕃人多壽考、毎夜臥、常以手掩外腎、令温煖、
此亦一術也。彙言。
●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)
兜住(トウジュウ)かぶせる
壽考(寿考)(ジュコウ)長寿、長命。
▲訓読▲(読み下し)
これを煉(ね)るの訣(けつ)、
須(すべから)く半夜(はんや)子(し)の時(とき)、
即(すなは)ち衣(い)を披(はお)りて起坐(きざ)し、
兩手(りょうて)搓(よ)りて極(きはめ)て熱(ねっ)せしめ、
一手(いっしゅ)を以(もっ)て外腎(がいじん)を
將(もっ)て兜住(とうじゅう)し、
一手(いっしゅ)を以(もっ)て臍(へそ)を掩(おほ)ひ、
而(しこう)して神(しん)を内腎(ないじん)に凝(こら)し、
久久(きゅうきゅう)にこれを習(なら)ひ、
而(しこう)して精(せい)旺(おう)す。眞詮(しんせん)。
西蕃(せいばん)の人(ひと)壽考(じゅこう)多(おほ)し、
毎夜(まいよ)臥(ふ)して、常(つね)に
手(て)を以(もっ)て外腎(がいじん)を掩(おほ)ひて、
温煖(おんだん)ならしむ、此(これ)も亦(ま)た
一術(いちじゅつ)なり。彙言(いげん)。
■現代語訳■
これを煉る秘訣は、
深夜の子の時刻に着衣して起坐してから、
両手を擦って極めて熱くし、片手に外腎[※前陰]を乗せ、
反対の手で臍を覆い、その後に精神を内腎に凝す。
長時間これを実践すれば精が旺盛になる。『真詮』
チベット地方には長寿の者が多いのは、
毎夜臥して後、常に手で外腎[要検討]を覆って温暖にするためである。
これもまた一つの方法である。『彙言』
★ 解説 ★
「煉精有訣」の続きです。前号部分では前説的な説明がありましたが、ここで具体的な精を旺盛にする方策が語られています。
この方法、どこかで見覚えがありませんか?
メルマガで読んだのはもう7年以上も前(!)になってしまいますが、前章の「身形」の「按摩導引」にも似た方法が、さらに細かく説かれていましたよね。こちらはそれを精を養う方法として特化して語られていることになります。
ここに二つの方法が説かれていますが、前半では片手で外腎、すなわち腰のあたりを覆い、反対の手で臍を覆うという前後を手で覆う方法が説かれています。
それに付随して意識も内腎に向ける、という実際の動作と意識とを組み合わせた方法になっています。按摩導引でも動作に加えて臍や丹田に火をイメージする方法がありましたよね。それに近いものがあります。
後半ではチベットの人々がする方法として、外腎のみを物理的に覆う方法が説かれ、単にこれでもよいとも言われています。
按摩導引を読んだ時にはテーマとして「タダでできる健康法特集」と銘打ってのことでした。今号の方法も手軽にできますので、志がおありの方は、今日から実践していただけたらと思います。
ちなみに、先行訳は前半のみを訳して後半を省略しています。
そしてその初めの動作部分をこう訳しています。
夜中におきて両方の手をもんで熱をもたせ、
まず、「半夜子時、即披衣起坐」の部分を「夜中に起きて」だけで済ませているわけですが、この訳ですと既に寝ていた人が改めて目を覚まして起きて、という感じに読めてしまいますね。
そして「起坐」の「坐」の訳がありません。これが無いために「坐る」という具体的な動作がわからなくなっているのですね。
「起坐」に「おきる」というニュアンスだけを見て、「坐る」を抜かしてしまったために「おきる」=「めざめる」の感じで読めてしまうわけです。
この「起坐」は「起き上がって坐る」という意味もありますし、「起坐」で熟語として上体を起こして坐った状態を言う意味もあるのですね。ここでは後者の意味合いで用いられていると思い、より「おきて」だけでは不足になってしまうと思います。
さらに「兩手搓極熱」を「手をもんで熱をもたせ」としていますが、「手をもんで」だと片方の手で片方の手を揉むイメージになってしまいます。
「搓」にはこの意味もあるのですが、日本語で「搓(よ)る」と読むように、また偏が違いますが「紙縒り」で「縒る」という字がありますね。
「紙縒り」を作る時にどんな動作をしますか?あれをイメージすると「搓」がわかりやすいでしょう。
そして大切なポイントながら先行訳では省略している部分に「極熱」があり、掌を熱くして覆う、という温熱の効果も加味されているのです。
そして「極熱」にするためには「手をもむ」では実現できないのですね。
「紙縒り」の動作で手に力を入れて擦り合わせることで「極熱」が実現するわけです。
これは実際にやっていただくとすぐにわかります。「手をもむ」では「極熱」の状態にはならないはずで、反対に「紙縒り」の動作を速く、強く繰り返しみてください。その摩擦熱で「極熱」になりますよね。
反対に「極熱」になっていなければ、力や熱の加減が足りず、この方法としての効果も足りなくなる、ということになるわけです。
先行訳はこのような細かい点でもポイントを外している、重要なポイントを省いている、ために原意を大幅に損なっていることが多く、特にこのような実践項目では効果の多寡にも関わりますので、やはり原文の確認は必須と思います。
◆ 編集後記
「煉精有訣」の実践項目にして最後の部分です。
次は「補精以味」です。一号で全部読み終わりたく思っています。
(2019.05.26.第318号)
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