メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第266号「先賢格言」7(内景篇・身形)

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆


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  第266号

    ○ 「先賢格言」(内景篇・身形)

        ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説
      ◆ 編集後記


           

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 こんにちは。「先賢格言」の続きにして最後の部分です。
 

 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)


 (「先賢格言」 p77 下段・内景篇・身形)


    丹溪色慾箴曰惟人之生與天地參坤道成
  女乾道成男配爲夫婦生育攸寄血氣方剛惟其
  時矣成之以禮接之以時父子之親其要在茲〓(〓目巻)
  彼昧者徇情縱慾惟恐不及濟以燥毒氣陽血陰
  人身之神陰平陽秘我體長春血氣幾何而不自
  惜我之所生翻爲我賊女之耽兮其慾實多閨房
  之肅門庭之和士之耽兮其家自廢既喪厥德此
  身亦悴遠彼帷薄放心乃
  收飮食甘味身安病〓(やまいだれに寥の下)


 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

  
  丹溪色慾箴曰、惟人之生、與天地參。坤道成女、乾道成男、

  配爲夫婦、生育攸寄、血氣方剛、惟其時矣。成之以禮、

  接之以時、父子之親、其要在茲。〓(目巻)彼昧者、

  徇情縱慾、惟恐不及、濟以燥毒。氣陽血陰、人身之神、

  陰平陽秘、我體長春、血氣幾何、而不自惜。

  我之所生、翻爲我賊。女之耽兮、其慾實多、閨房之肅、

  門庭之和。士之耽兮、其家自廢、既喪厥德、此身亦悴。

  遠彼帷薄、放心乃收、飮食甘味、身安病〓(やまいだれに寥の下)。

 ●語法・語(字)釈●(主要な、または難解な語(字)句の用法・意味)


  


 ▲訓読▲(読み下し)


  丹溪(たんけい)色慾(しきよく)の箴(しん)に曰(いは)く、

  惟(おもんみ)るに人(ひと)の生(せい)、

  天地(てんち)と參(みつ)なり。

  坤道(こんどう)は女(おんな)と成(な)り、

  乾道(けんどう)は男(おとこ)と成(な)り、

  配(はい)して夫婦(ふうふ)と爲(な)る、

  生育(せいいく)の寄(よ)る(とこ)ろ、

  血氣(けっき)方(まさ)に剛(こわ)し、

  惟(た)だ其(そ)の時(とき)なり。

  これを成(な)すに禮(れい)を以(もっ)てし、

  これに接(せっ)するに時(とき)を以(もっ)てす、

  父子(ふし)の親(しん)、其(そ)の要(よう)

  茲(ここ)に在(あ)り。

  彼(か)の昧者(まいしゃ)を〓(目巻)(かへり)みるに、

  情(じょう)に徇(したがっ)て慾(よく)を縱(ほしいまま)にす、

  惟(た)だ恐(おそら)くは及(およば)ざることを、

  濟(すく)ふに燥毒(そうどく)を以(もっ)てす。

  氣(き)は陽(よう)血(ち)は陰(いん)、

  人身(じんしん)の神(しん)、

  陰(いん)平(たひ)らかに陽(よう)秘(ひ)して、

  我(わ)が體(たい)長春(ちょうしゅん)なり、

  血氣(けっき)幾何(いくばくぞ)、

  而(しか)るを自(みずか)ら惜(おし)まず。

  我(わ)が生(しょう)ずる所(ところ)、

  翻(かへっ)て我(わ)が賊(ぞく)と爲(な)る。

  女(おんな)の耽(ふけ)るや、其(そ)の慾(よく)

  實(まこと)に多(おほ)し、閨房(けいぼう)の肅(つつし)みは、

  門庭(もんてい)の和(わ)。

  士(し)の耽(ふけ)るや、其(そ)の家(いへ)

  自(をのづか)ら廢(はい)し、

  既(すで)に厥(そ)の德(とく)を喪(うしな)ひ、

  此(こ)の身(み)も亦(また)悴(をとろ)ふ。

  彼(か)の帷薄(いはく)を遠(とを)ざければ、

  放心(ほうしん)乃(すなは)ち收(をさ)まり、

  飮食(いんしょく)甘味(かんみ)にして、

  身(み)安(やす)く病(やま)ひ〓(やまいだれに寥の下)(い)ゆ。


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 ■現代語訳■


  朱丹溪の色慾箴に説くには、

  考えるに人の生は天地と釣り合っている。

  坤の道は女を造り、乾の道は男を造り、娶されて夫婦となる。

  そしてさらに新たな生が育まれていくのである。

  血気が剛く定まるには時があって、

  礼をもって婚姻がなされ、時に適って交接が行われる。

  父子が親しいという要はまさにここにあるのである。

  かの愚者達に目をやれば、情に身を任せて慾をほしいままにし、

  精力が足りないことを恐れ、これを補うのに強精剤を使用する。

  気は陽であり血は陰であり、人身の神は陰が平らかで陽が秘して、

  はじめて元気で長寿であることができる。

  血気には限りがあり、しかも自ら浪費する。

  自分を生んだ行為が、かえって自分を損なう行為となってしまうのである。

  女性が性に耽るようになると、その慾は非常に強いため、

  閨房の慎みがすなわち家門の和平をもたらすのである。

  男性が性に耽るようになると、その家は破滅し、

  徳は失われ、身体もまた衰えることになる。

  房事を遠ざければ、放心もまた収まって、

  飲食が美味く、身体も安らかになり、

  病気もまた癒えることになるのである。

 ★ 解説 ★

 「先賢格言」の続きにして最後の部分です。これまた前号以上に長いですが一気に読んでしまいます。

 前号部分の引用は「丹溪飮食箴」でしたがこちらは「丹溪色慾箴」です。つまり「飮食」が「色慾」に替わっただけで、案の定前号と同じ『格致余論』の「色慾箴」からの引用となっています。


 前号の「飮食箴」にもあった「彼の昧者を〓(目巻)みるに(かの愚者達に目をやれば)」という文がこちらにもあって、文章としても「飮食箴」とひとセット的な扱いで作られていることが読み取れます。

 そして飲食以上に身につまされる(?)、簡潔ながら端的で真理をつきかつ奥深い文となっています。

 訳は前号同様少し前後関係などを補い、若干の意訳的要素も取り入れつつ、読みやすくしています。どこにどのようにその要素があるのか気になる方はぜひ訓読や原文と比較して読んでくださればと思います。


 ちなみにこの「色慾箴」は前号の「飮食箴」と共に『格致余論』の冒頭部に置かれ、「飮食箴」「色慾箴」と並んで記されています。さらにその前に「飮食色慾箴序」という前書きがあってその後に「飮食箴」「色慾箴」となっているのですね。

 もとの『格致余論』でいかにこの文が重視されているかがわかります。さらにちなみに、この前の「東垣省言箴」は李東垣『脾胃論』の一番最後に置かれていたのでしたよね。東医宝鑑とは関係ないですが、こんなそれぞれの位置関係の考察もなかなか面白いテーマではあると思います。


 さて、「飮食箴」に続く「色慾箴」、テーマは明白ですよね。ただ文辞はなかなか難しく、文章を構成している背後にさらなる古典の素養が満載で、それらを必ずしも知っていなくても読めることは読めますが、やはりわかっていたほうが理解は深く、そもそも医学の文に限らず古典はさらにその時代の古典の素養の上に則ってできているのでそこからの知識が要るのですね。
 この朱丹溪などは特に『格致余論』などという書名のごとく医書でもあり儒学書でもあるような、読み手からするとメンドクサイ(?)本なのです。


 
 ただ、東医宝鑑の注釈や翻訳はまだ日本では少ないわけですが、このように引用元を割り出せた場合、この文でしたら『格致余論』関連の文や本を探して読めば補うことができますよね。

 というより東医宝鑑を通して格致余論を読んでいるとも言え、この部分からさらに広げて格致余論の他の文を読んでいっても良いわけです。


 この『格致余論』は日本にも岡本一抱の『格致余論諺解』という詳細な注解書があって、しかも市場で買ったら大変高価なこの本も、ネット上に原本のまま撮影して全編が掲載されているという全くもってけしからん(?)ほどの便利な時代です。

 それを探し出すことができれば、この東医宝鑑から読むのと、格致余論から読むのとで、かなりの精度と深さで読むことができそうです。


 前の部分で読解の課題としてこれらの文が『脾胃論』『格致余論』からの引用であること、さらに前号では引用中引用として易と孟子の引用箇所の特定を挙げてみましたが、ここでも同様の課題を出してみたいと思います。

 既にこの文が『格致余論』の「色慾箴」からの引用であることは書きましたので、『格致余論』の解説書や翻訳を参考書として補完して読むこと。また岡本一抱の『格致余論諺解』を探して該当部分を読むこと、などです。

 特に『格致余論諺解』はかつて日本でこんな本が書かれていたのかと感動するほどの詳細な注解書です。『訂正 東医宝鑑』とも訓読が違う部分も多くあり、『訂正』のみに頼る読みより格段に深く広く読むことができます。

 ぜひとも探し出して該当部分を読み、またさらに志がおありの方は格致余論の他の部分にも読解を広げていただけたらと思います。


 余談的課題として、本来の格致余論の「色慾箴」ではこの東医宝鑑が引いている文とは漢字一文字違うところがあるのです。

 ではその違う一字はどこにあって、『格致余論』ではどの文字が使われているのでしょうか?

 ちなみに『訂正 東医宝鑑』ではその文字は訂正されていず、朝鮮版の東医宝鑑の文字のままで踏襲しています。ですので『訂正』の編者さんはこの部分は『格致余論』にまで遡って校正したわけではないこともわかり、この部分に限っては引用元に辿っての『訂正』がなされていないこともわかります。

 なぜ東医宝鑑でその文字が入れ替わったのかはさらなる調査が必要ですが、一号のメルマガには間に合わず、もしそこまでご興味と志がおありの方はお調べいただけたらと思います。


 これらの文献的調査にご興味がない方でも、訳をお読みいただけたらご自分の箴として読むことができますよね。訳を読んで内容を享受する、原文に辿って深く調査する、いろんな使い方ができるのもこのメルマガの特徴なのです。


 ◆ 編集後記

 「先賢格言」、読み終わりました。次からいよいよこの章の処方解説部分に入ります。ようやく章の読解も後半から終盤に差し掛かってきました。

                     (2018.05.19.第266号)
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