メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第304号「精爲至寶」(内景篇・精)その3

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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆

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第304号

○ 「精爲至寶」(内景篇・精)その3

                      ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

                      ◆ 編集後記


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こんにちは。前号の続き、「精爲至寶」の残りの2段をまとめて
 読んでしまいます。

◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)

(「精爲至寶」 p81 下段・内景篇・精)

                             仙書曰
                             象川翁曰精能生氣氣能生神榮衛
      一身莫大於此養生之士先寶其精精滿則氣壯
   氣壯則神旺神旺則身健身健而少病内則五藏
   敷華外則肌膚潤澤容顔光彩耳目聰明老當益
   壯矣〇黄庭經曰急守精室勿妄泄閉而寶之可
   長活

▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

象川翁曰、精能生氣、氣能生神、榮衛一身、

莫大於此。養生之士、先寶其精、精滿則氣壯、

氣壯則神旺、神旺則身健、身健而少病、

内則五藏敷華、外則肌膚潤澤、容顔光彩、

耳目聰明、老當益壯矣。

黄庭經曰、急守精室勿妄泄、閉而寶之可長活。

●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)

精室(せいしつ)命門のこと。精を蔵するとされる。

▲訓読▲(読み下し)

象川翁(しょうせんおう)曰(いは)く、

精(せい)能(よ)く氣(き)を生(いか)し、

氣(き)能(よ)く神(しん)を生(いか)す、

一身(いっしん)を榮衛(えいえ)すること、

此(こ)れより大(だい)なるは莫(な)し。

養生(ようじょう)の士(し)は、

先(ま)づ其(そ)の精(せい)を寶(たから)とす、

精(せい)滿(みつ)れば則(すなは)ち

氣(き)壯(そう)なり、

氣(き)壯(そう)なれば則(すなは)ち

神(しん)旺(おう)す、

神(しん)旺(おう)すれば則(すなは)ち

身(しん)健(すこや)かなり、

身(しん)健(すこや)かにして

病(やまひ)少(すく)なければ、

内(うち)には則(すなは)ち五藏(ごぞう)

華(か)を敷(し)き、

外(そと)には則(すなは)ち

肌膚潤澤(きふじゅんたく)あり、

容顔光彩(ようがんこうさい)あり、

耳目聰明(じもくそうめい)にして、

老(おひ)て當(まさ)に益(ますます)壯(そう)なるべし。

黄庭經(こうていきょう)に曰(いは)く、

急(いそ)ぎ精室(せいしつ)を守(まも)り

妄(みだ)りに泄(せっ)すこと勿(なか)れ、

閉(とじ)てこれを寶(たから)とせば

長(なが)く活(い)くべし。

■現代語訳■

象川翁が説くには、

精は気を生かし、気は神を生かす。

一身を養い保護すること、これより貴重なものは無い。

養生を志す者は、先ずその精を宝とするべきで、

精が満ちれば気が壮んになり、

気が壮んになれば神が旺盛になる。

神が旺盛になれば身体が健康になり、

身体が健康になって病が少なくなれば、

体内では五臓が盛んに機能し、

体外では皮膚が潤沢になり、顔面は光彩を放ち、

耳目聡明にして、歳を重ねれば重ねるほど壮健になるであろう。

黄庭経に言うには、

固く精室を守って、妄りに泄してはならない。

泄することなくこれを宝のように扱えば、

長生することができる。

★ 解説 ★

「精爲至寶」の前号に続く部分、2段をまとめて読んでいます。

前々号、この項目の初めの部分の号でも書いた、

AであればB、

BであればC、

CであればD、

であるから・・・である。

という構成法が使われていますね。

論旨は明白ですが細かい部分で読みどころが多く、例えば一つ目の段落の

内則五藏敷華、外則肌膚潤澤

のうち、内の「五藏敷華(五藏(ごぞう))華(か・はな)を敷(し)き」
 など、「五臓が華を敷く」という状態はどのような状態を指すでしょうか?

訳では「五臓が盛んに機能し」と意訳の感じになっていますが、とても原文をうまく表しているとは言い難いですよね。

以前に、これらの記述は人さまのことを言っていると考えるのではなく、自分の身に置き換えて、自分のことを書いてある記述だと読めば、それだけ切実に、まじめに読むことができますので、それがこのような文献を読むときのひとつのコツでもある、ということを書いたのですが、この「五藏敷華(五臓が華を敷く)」という状態をご自分に置き換えて、どのような状態であるのかをあれこれ想像してみるのもよいかもしれません。

もちろん、併せて歴史的にどのように使われて来たのか、前例を調べることも必要ですね。

ちなみに、前号でも書いたように先行訳は今号の部分は訳出していず、まるまる省略されています。

◆ 編集後記

「精爲至寶」の続きにして最後の部分です。日曜配信が続きますが、週一ペースの配信は固守できています。

メルマガ以外の全体の訳の進行が止まっていますが、「身形」の章の書籍化を進めています。原稿を打ち込むだけでかなりの労力が必要ですが、何かを形にする作業は楽しく、楽しみながら進めることが出来ています。お時間のお約束ができませんがこちらもお楽しみにしてくだされば幸いです。

次号は続く「五藏皆有精」の項目を読む予定です。

(2019.02.17.第303号)
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