「復讐」について、AIと話してみた
僕は「復讐」となると、いつも納得できない言葉がある。
それは
「復讐をすると、相手と同じレベルになるよ」
という言葉。
ドラマ、アニメなどでもよく聞く言葉だし、その言葉を言われたキャラクターが、「それを聞いて、目が覚めました。復讐はやめます」となったりする。
これがまったく納得できない。
害を与えた側、つまり、加害者から見れば、「あぶねえー、良かった」となるだけだろう。
お咎めなしと同じだ。
適切な社会罰が与えられるならまだしも、そうでないなら、それは単純に「理屈をつけた泣き寝入りに過ぎないんじゃないの?」というのが僕の理屈。
こんなこと、誰に聞いても、相手にしてくれないだろうから、暇に任せて、ChatGPTに聞いてみることにした。
「復讐をすると、相手と同じレベルになる」という理屈を教えてほしい
そう聞くと、ChatGPTは、以下の答えを出してくれた。
自分も加害者になってしまうから、相手の行為を非難する資格を失う。
復讐に走ることで、冷静さや理性を失い、感情に支配されてしまう。そうすると、ネガティブな感情に浸る時間が増え、自分の高潔なセルフイメージが壊れてしまう。だから、高潔な人間性を保つために、復讐をしないことを選ぶ。
復讐はさらなる復讐を生む
正義は多くの社会では法律に基づいて行われるべき。それを自分が復讐のために破ってしまうと、あなたも犯罪者だよ。
だから、
「復讐という行為自体は、相手と同じレベルの行動を取るということだから、復讐しないことで、自分の品位や道徳性を保ち、自分を守るという考え方が根底にある」
とのことだった。
社会的な罰が充分に与えられる場合はそうだけど、そうでない場合は、それは単なる「理屈をつけた泣き寝入り」じゃないの?
と聞くと、「非常に鋭い指摘だ」というお褒めの言葉とともに、以下を返してくれた。
要約すると、
復讐をしない、ということが高潔な行為とみなされる一方で、被害者への救済、加害者への罰がない場合、正当な怒りや不満が無視されるのは、確かなこと。
泣き寝入りを正当化しないために、社会的な罰を与える仕組みが必要。
社会罰がないなら、復讐を否定することはできないかもしれない。
加害者を変える試み(SNSやメディアに訴えること)、自分を強くすること、同じような被害を受けた人々とつながり共同で社会変革を促すことで、復讐を超える試みもできる。(←かっこいい)
でも、最終的な選択は個人の自由。だけど、復讐の結果は考えておきなさいよ。
という内容だった。
「復讐しないことで高潔さを保つ」一方で、「復讐をしないことで無力感に苦しむ」ということもあるだろうと考えるが、この点に関しては、「その両方のバランスの問題だ」と言う。
その上で、結局のところ、復讐については、
復讐をしないで、社会がくだす刑罰を利用しよう。無いなら、声を上げて社会を動かそう。
復讐をすると、復讐の結果、自分も復讐の対象になる
というのが繰り返される答えだった。
じゃあ、
歴史上の権力者のように、復讐を徹底的に行う。つまり、復讐の連鎖を断ち切るくらいに行えばいいという考え方についてはどうか?
と引き続き聞く。
「確かにある程度の説得力がある」との言葉のあと、
メリット
相手を完全に排除できれば、報復を受ける可能性が最小化できる。権力闘争では、過去、有効だったといえる。
他者への見せしめ効果もある。
デメリット
あまりに復讐が苛烈だと、支持者が減る可能性がある。
隠れた敵を生む可能性がある。
自分が罪悪感に苦しみ続ける可能性がある。
終わりが見えない可能性がある。・・・復讐の種が残っている場合
それから、「現代的視点では」と題し、
復讐の連鎖を断ち切るために、現代では次のようなアプローチが重視されている。
和解と赦し
国際法や正義の実現
と語り、
結論として、「このやり方は歴史上、確かに一定の成果を上げたけど、現代ではリスクが高く、持続的な平和を実現するための最善策とはいえない」と言う。
確かに納得できる。
会話の結果
一通りの会話の結果、「復讐は相手のレベル・・・」という言葉は、やはり、さほど納得のいく言葉ではないなと感じた。
別に復讐を推奨したり、自分がしたいわけではないけれど、こういう言葉が広がってしまい、しかも、「素晴らしい」と流布されてしまうと、加害者に有利な社会が生まれてしまうかもしれない。
大きな被害でなくても、小さな被害はそこかしこにある。
それらに対し、いちいち復讐していてはきりが無いけれど、復讐するに足る行為をされた場合、「相手のレベル・・・」という言葉は、百害あって一利なしではないかと常々思っていた。
ましてや、社会罰がない無法地帯を描くアニメにおいても使われるのだから、どうかしているではないか。