宇津保物語を読む9 内侍のかみ#18
帝、胡笳の音に感じ、胡の后の哀話を語る
訳
こうしているうちに、北の方の演奏はますます興にのり、しめやかな音色を奏でる。
帝は楽譜を手に取り、
「この楽譜には、こうあるのだ……」
「ここは、このように演奏するのだ……」
などと指示をする。
その言葉通りに北の方は琴を奏で、譜のとおりに、そしてまた珍しい技法なども披露しする。
一通り、胡笳の調べを楽譜のとおり演奏し、「しをすさ」の音色で演奏する様子、同じ旋律を調子を変えながら演奏する琴の音色は、興深いことこの上なく、また演奏するその手つきも美しい。
帝はそれを聴きながらふと胡の王妃の逸話を思い出し語るのであった。
「昔、唐土の帝が戦に負けそうになったとき、胡の国の武人が助け、その戦を収めたことがあった。帝はたいそう喜び、
『7人の妃の中から望むものを与えよう』
といって7人の妃の絵を描かせ胡の武人に選ばせたのだが、その妃の中にとても美しい妃がいた。
7人の妃の中でも、帝の寵愛は特に深いので、妃はその帝の愛情を頼りに、
『大勢の国母や夫人がいる中でも、私だけが帝の愛情を受けている。まさか、私を胡の武人に与えることはすまい。』
と信じ、姿絵を描く絵師に、ほかの6人の妃は千両の賄賂を送り自分を不美人にかかせたのだが、この妃だけは賄賂を送らなかったばっかりに、たいそう美しく描かれてしまい、胡の武人がそれを見て「この国母をいただきたい」と申し出てしまった。
「天子空言せず」との言葉のとおり、もはや帝はそれを断ることも出来ず、この妃を与えることとなってしまった。
妃は胡の国に渡る時たいそう嘆き、胡笳の琴の音を聞いてはさらに悲しみ、乗っている馬までもが嘆き悲しむように嘶いたという。これが『胡の婦』という詩の成り立ちである。その馬の悲しげな声は、もはや獣の声とは思われなかったという。その逸話にまつわる曲を今奏でている、そなたの技法は、無類の素晴らしさだ。その情景が目の前に浮かぶようだ」
と語るうちに琴は八の拍まで進む。まさに「なん風」の一族の演奏である。
帝はさらに語る。
「この演奏は、昔俊蔭の朝臣が奏でた演奏と同じものだ。
仲忠の中将の演奏は多くの憂さを忘れさせ、じつに興趣を感じさせるが、そなたの演奏は多くの「あはれ」を思い出させ、俊蔭の演奏を思い出させ、そなたへの愛情が増していくことまでもが思い出される。心細く「あはれ」であることは、十分にそなたの演奏で味わうことが出来た。『忘れてもあるべきものを芦原に』ともいうであろう。その下の句(『思ひ出づるのなくぞわびしき』)のごとく、昔を思い出させる曲を奏でておくれ」
北の方の繰り返し奏でる演奏を聞き、広く知られている曲は十分にそれを楽しみ、奏法が定まらない曲には新たな解釈をそこに込めたりなどし、帝はますます北の方への愛情を強くするのであった。
次々と演奏を続け、再び二の拍に戻ると、仲頼と行政は唱歌し、涼、仲忠は詩を吟ずる。当世の名手4人とかつての名人の娘の演奏が重なり合い、新旧それぞれの名手たちの競演であるので、たいそうとしっとりと趣深いことこの上ない。
帝「二の拍が「あはれ」を尽くしている上に、さらにもの寂しい音色がそこに加われば、心を打たれることはもっともだ。この曲は、あの胡の国に渡った国母の、国境を越えるときにの嘆きを表したものだ。皇帝の一の妃の位にあったのに、異国の武人のものとなってしまった思いは、どれほどかと想像されるにつけ、その思いを込めて奏でる、そなたの演奏の素晴らしさは、ますます「あはれ」である。ああ私も関を越えたいと思うのに、通ることを許さぬ者がいる。この二の拍に劣らぬ思いを声に出して訴えたい。国境を越えてゆく国母よりも、関を越えることの出来ない私の思いを軽んじてはいけないよ。」
北の方「どうして関守がお許しにならないなど、ありましょうか。」
帝「(おまえの夫)近衛の陣が固く守っているようだからね。」
二の拍の演奏ははじめはほのかに、やがて心を込めて存分に奏でられる。
それを聴く者たちは男女の区別なく、みな涙を流しながら、感動に胸震わせるのであった。
王昭君の故事にも似たエピソードが帝から紹介される。
王昭君の故事では、賄賂を送った妃たちは美しく描かれ、王昭君は賄賂を送らなかったために醜く描かれてしまい、皇帝にその美しさを知られることがなかった。匈奴に妃を送ることになり、醜い妃を選びぼうとして、王昭君が選ばれる。胡へおくられるその日になって皇帝はその美しさを知りたいそう悔やんだという。
俊蔭の娘の「あはれ」はここでも強調されている。