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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#7
これは最初に#6としてアップしたものですが、前段を挿入したので、タイトルの番号を変更しました
帝、涼と仲忠に弾琴を所望される
限りなく遊ぶに、上、(朱雀)「ここらの年ごろ、嵯峨の院の御時にも、国知りて後も、見どころあることなかりつるに、さこそいへ、ただ今の大将たち、少し例の人にたちまさりたる人にて、心づかひせられけむ、いと労あるかな。これに少しめづらかならむ筋にして、かの九日の等しき相撲になしてむ。『仁寿殿の相撲の節、吹上の九日』ともいはせてしがな」とのたまふ。
東宮、「さりとも、今日これはやと見ゆること、異人はえ仕うまつらじ。こくばくに並びなく、天の下に限りのものの今日に尽きぬるを、それに少したちまさらむことは、涼、仲忠、仲頼なむ仕うまつり出ださむ」。
上、(朱雀)「その人々こそ心強き人なれ。さりとも今見むかし」とて、涼を召す。
涼、その日、いとめでたく装束きて参れるを、御前に召して仰せらるる。
(朱雀)「今日なむ例の節会に似ず、ものの興思ほゆる日になむあるを、今日累代の例になりぬベかめり。思ふやう、今少しめづらしからむことしつけて、同じくは例にせむ。なほ今日の相撲のこと、よにまたあるまじく古事にせむとなむ思ふ。人のすまじきことをこそはせめと思ふに、涼の朝臣と、今一人となむある。朝臣の訪ひにものしたりし九日なむ、唐土にもなく、めづらしき例になりにし。今日の相撲をなむ、またさなさまほしき。かの仕うまつりし琴仕うまつれ」。
涼、「年ごろ仕うまつりし琴仕うまつらじと思ふ心侍りて、魂をも変へ、仕うまつりし足末をも捨ててはべれば、さらに弾きどころある手といふものなむ覚えずはべる」と奏す。
上、(朱雀)「さらに奏すまじきことなり。仲忠の朝臣、度々否び申すをだに許さで。げに山賤ども聞かじや」と仰せらるる。強ひて傍らなる人にいふ、
(涼)「いささか、ようまれ悪しうまれ、思ひだに出でられば仕うまつるべきを、さらにかけ離れてなむ思ほゆる」と人々にいふを聞こしめして、
(朱雀)「涼の朝臣がすまひ申すをすまはせては、仲忠の朝臣のしてむをば責めじ」など、度々いとせちに責めさせたまふ。
かしこまりてさらに仕うまつらず。
上、(朱雀)「天下におぼつかなく覚ゆとも、深き才はそれに向かひて手触れしむれば、自然に思ひ出でらるるものなり。いとさいふばかりにはあるまじかめるを。さりとも、片音ばかりは残りたらむものを、いとたいだいしく申すことなり。上手も常に好みてはせざりけれど、労ある声にもあるかな。まして常に違ひて心に入りなむ時、いかならむと思ほゆるなむいと面白き。いとせちなる夜に、うしろめたきことはいはじや」とて、御前なる六十調を胡笳に調べて、
(朱雀)「これが声をもて、折り返し、ただかの吹きあはせむにて、仕うまつられよかし。弥行が族の二の拍を、琴の音の出で来む限り仕うまつれ」と仰せられて、
涼、「さらに異手は思ひ出づることや侍らむ。胡笳の手といふもの、かけても思ほえずなむはベる。この調べを返して声になして、仲忠と候はば、仲忠の朝臣の仕うまつらむを承らばや、わづかにも。ただこの六十調ばかり、異手どもの多く侍らむ」と聞こえて候ふ。
(朱雀)「涼の朝臣仕うまつらばこそは、仲忠の朝臣は、『きしろひたる人仕うまつるに、これにかき合はせて仕うまつれ』ともいはめ。すまふまじき涼だにかくいふ。ましてかのあやにく者は、まさに聞きてむや。よし仰せみむかし」とのたまひて、
(朱雀)「仲忠の朝臣」と、御口づから召す。
仲忠、左近の幄に笛吹きせめて、勝ちたる遊びしをるに、召す声を聞きて、笛うち捨てて逃げ隠れぬ。
訳
管弦の催しは際限なく続く。
帝「近年父嵯峨院の御代においても、また私の治世においても、特にこれという行事は行われなかったが、そうはいっても、今の大将たちは、ほかの者たちよりも優れておるので、その気配りはたいしたものだ。今回の催しについても、今少し趣向を凝らして、あの吹上で行われた重陽の節会に等しい相撲の節会としたいものだ。『仁寿殿の相撲の節、吹上の九日』ともいわせたいものだ。」とおっしゃる。
東宮「そうはいいましても、「これは」と思わせるような者は、この大将2人をおいて、他にはいないでしょう。この世に二つとないほど贅が尽くされましたからには、これ以上のことといったら、涼、仲忠、仲頼を呼び出す以外にありませんね。」
帝「彼らはたいそう強情な者たちだからなあ。それでもちょっと命じてみるか。」
といって涼をお召しになる。
たいそうすばらしく着飾って参上していた涼を、御前に召して、
「今日は例年の節会とは違い、たいそう興のある日であるので、代々の例にもなるであろう。そこで思うのだが、もう少し珍しいことを付け加えて、今日の相撲の節会を人々の心に残るような、またとない故事としたいのだ。そこで、誰も真似出来ないことをしようと思うのだが、ちょうど、おまえともう一人仲忠がいる。公卿たちが吹上の地に集った重陽の節会は、唐土にもない珍しい先例となった。今日の相撲もそのようにしたいのだ。あの時奏でたという琴を演奏してはくれないか。」
涼「長年演奏してきました琴ですが、もう二度と演奏すまいと思うようになりまして、心も変わってしまい、身につけました技法もすべて捨ててしまいました。今となっては、披露できる技も何も覚えておりません。」
帝「そのようなことを申すではない。仲忠の朝臣はいつも拒否しておるが、それも今日は許さないつもりなのだ。隠すでない。おまえの琴を山賤さえも聞かなかったと申すか。」
涼は重ねて
「少しでも、良くも悪くも思い出せれば演奏いたしますが、すっかりと琴からは遠のいてしまいましたので。」
と周囲の者に弁明するも帝は許さず
「涼の朝臣が辞退するのを認めてしまっては仲忠の朝臣を責められなくなる。」
などと度々お責めになるが、涼は恐縮するばかりで決して演奏しようとはしない。
帝「どんなに自信がないといっても、才能のあるものは琴に触れれば自然と思い出すというものだ。思い出せないなどということがあるものか。ちょっとくらいは覚えておろう。面倒なことを申すものだ。たしかに上手というものはいつも好んで演奏するわけではないが、奏でれば熟練した音色を奏でるものだ。まして、いつもとは違い興にのって演奏するときは、どれほどの演奏をするのだろうと想像するだけでも面白い。こんなに興趣のある夜に、そんな面倒なことを申すな。」
と、御前にある六十調という琴を胡笳の調子に調えて、
「この音で繰り返しあの笛の音に合わせて演奏せよ。弥行一門の二の拍を、琴の音のかぎり演奏せよ。」
涼「ほかの技法なら思い出すこともございましょうが、胡笳だけはまったく思い出せません。この調べを普通の調子に戻して仲忠と奏でるのでしたならば、仲忠の朝臣が奏でる調子に合わせることはできましょう。この六十調には胡笳以外の奏法もございます。」
帝「おまえが演奏すればこそ、『ライバルが演奏しているのだから、これに合わせて演奏せよ』と仲忠に言えるのだ。辞退するはずのない涼までもこんなことを言うのなら、ましてあの意地っ張りの仲忠は聞き入れはすまい。まあそれでも試しに命じてみるか。」
とおっしゃり「仲忠の朝臣!」とご自身で口に出してお呼びになる。仲忠は左近の幄で笛を吹き祝勝の楽を奏でていたが、その声をきいて笛を捨てて逃げてしまった。
仲忠、涼両名に演奏をさせるために、いつも拒否してばかりの仲忠よりは、まずは涼から命じようとしたが、辞退されてしまう。
つねに琴を辞退し続ける仲忠に対し、むしろ涼は吹上下巻で父嵯峨帝の前で積極的に技を披露していた。それが辞退するようになったのは神泉苑での仲忠との競演で奇瑞を起したことにより、仲忠が辞退し続ける理由を身にしみて感じたのかもしれない。
帝の命ずるままに演奏をする宮廷楽人と違い、秘曲を伝授された二人はアーチスト。俗世の権力とは別の次元にいるのだろう。