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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#20
帝、長生殿の契りを引き、尚侍と歌を贈答
北の方は、胡笳の手ども調べども、みな仕まつり果てたまひぬ。上、飽かずめでたしと思ほせど、さらに調べ変へて仕うまつりたまふべきにもあらねば、飽かず心もとなしと思しながら、上、(朱雀)「胡笳は、かくおぼつかなく思ほゆれど、かごとばかりは遊ばしつめり。今はこれより返らむ声に調べて、いま一度の節会に遊ばさむ声を調べて、まかでたまへかし」とのたまへば、なほ迎への声に調べて候ひたまふ。
上、(朱雀)「年ごろ過ぐしけることは、嘆きてもかひなし。今よりだに、なほよろしからむ節会ごとに、すべて節会一つに手一手づつ遊ばせ。また節会ならずとも、春秋の草木の盛りの見どころあらむ夕暮れなどに、なほ面白からむ手遊ばして聞かせたまへ。わいても、千年が内に出で来む節会ごとに遊ばすとも、この御手の尽くべきことのなきなむ、あはれなりける。人の代は限りあるものを、おのが限りにして、手どもの千歳に尽きむことの難きこと。承りさして世の変はらむは、あはれうしろめたきこと。いかでか、そこにもここにも、万歳の命よはひもがな、とこそ思へ。
千歳経る松より出づる風の音は
たれか常磐に聞かむとすらむ」
尚侍、
(俊蔭娘)「声絶えず吹かむ風には
松よりもよはひ久しき君ぞ涼まむ
誰にかあらむ」と申したまふ。(朱雀)「それが不定なるにこそあはれなれ。よし、おもとにも、草木となるとも、この琴の音をそれに従へて、この遊ばすをば承りて、鳥の声にても承りてむ。草とならば、虫の声にても聞き、山とならば、風の音にても聞き、海川とならば、波高き音にてもなむ聞かむ」とのたまふ。(朱雀)「楊貴妃が、七月七日長生殿にて聞こえ契りければ、おもとには、今宵、仁寿殿にてを契り聞こえむ。さらに長生殿の長き人の契りに思ほし落とすな」と、世の中のあはれなることをのたまひて、かくなむ、
(朱雀)「姫松の鶴の千歳は変はるとも
おなじ河辺の水と流れむ
そこにさ思せかし。ここにはたさらなり」。尚侍、「『言出しは』といふことのあれば、えなむ」とて、
(俊蔭娘)「淵瀬をも分かじと思へど
飛鳥川そなたの水や中淀みせむ
とのみなむ。さらに身には、『深き心を』とのみこそ」。上、(朱雀)「よし、さて試みたまへかし」とて、
(朱雀)もろともに流れてを見む白川や
いづれの水か湧きはまさると
などのたまふほどに、内膳に仰せごとありければ、御前のもの、いと清らにて参る。浅香の折敷四十、それに、折敷の台、敷物、いとになく清らにて、御器どもなどさらにもいはず。同じく盛りたる菓物、乾物、世の常の食物にはあれども、いとめでたし。上、右近の実頼の中将、兵衛督などに、(朱雀)「かくてものしたまふに、今宵、この琴仕うまつる人、いとめでたき人なるを、朝臣、なほ内膳につきて、この前のもの、少し情けづいて、ただ今ものせよ。菓物など、いと興あるものを選びて仕うまつれ」と仰せられければ、この君、天下の手を尽くして、労ありとある人、殿上人などして、手づから俎に向かひて、艶の有職たち三、四十人して、調じ出だしたること、いと清らなり。
かくて、めでたくて御琴仕うまつり果てて、暁方になるほどになむ、内侍ら四十人、みな装束し連ねて、四十の折敷取りて参りける。かく尚侍になりたまひぬるすなはち、女官みな驚きて、にはかに内教坊よりも、いづくよりもいづくよりも、髪上げ、装束して、ふさに出で来て、この折敷取りて参る。典侍、賄ひしたまふ。その典侍、いとやむごとなき人なり。上仕うまつりたまひて、源氏、親王たちなどの御ことしておはします。源氏の娘なり。かくて、みな、この尚侍の御供にある大人、童などに、いと清らに物賜ふ。
訳
北の方は胡笳の手や調べをすべて演奏し終えた。
まだまだ聞いていたいと思うほどの、すばらしい演奏であると帝はお思いになるが、この上調子を変えてさらに演奏を続けるわけにも行かないので、物足りなくもじれったくも思いながらも、
帝「もどかしく思われるけれど、胡笳は、それでも一応は演奏してくれたようだね。あとはここから返り声に弾いて、次回の節会で演奏する曲を弾いてから退出するがよい」
とおっしゃるので、北の方はさらに迎えの声に演奏する。
帝「今日に至るまで、長くそなたの演奏を聴かずに過ごしてしまったことは、今さら嘆いても致し方ない。せめてこれからは風情のある節会ごとに、かならず節会1回に手1つずつ演奏なさい。また節会でなくとも春秋の草木の盛りで見所のあるような夕暮などにも、やはり興深い手を演奏して聞かせておくれ。それでも1000年間、巡り来る節会ごとに演奏したとしても、その手をすべて弾き尽くすことがないとは悔しいことだ。人の命は限りあるものだが、1000年経っても尽きることのない、その演奏を我が生涯をもって聞き尽くせぬこと、すべて聞き尽くすことなく死を迎えることは何とも無念。そなたにも我にも万年の寿命が欲しいものだ。
千年を生きる松から吹く風の音を
誰が永遠に聞けようか
尚侍
絶え間なく吹く松風は
松よりも寿命の長い君こそ涼めるでしょう
帝こそ」
と申し上げなさる。
「その寿命の不確かであることが辛いのだよ。でも、もしあなたが死に、人以外のものに生まれ変わったとしても、それが鳴らす音を琴の音として、きっと聞きわけてみせましょう。あなたが草木となったなら、木に止まる鳥の声を琴の音として聞きましょう。草となったら虫の声と聞き、山となったら風の音として、海川なれば波高き音として聞きましょう。
昔、楊貴妃が七月七日の長生殿で玄宗皇帝と約束したように、今宵、ここ仁寿殿であなたと約束をしよう。長生殿での永遠の契りに劣るとはけっしてお思いなさらぬよう」
と、男女の情愛の深さを仰せになり
姫松に遊ぶ鶴の寿命がたとえ短くなったとしても
同じ河辺の水となっていつまでも共にありたいものだ
あなたもそう思って下さい。私はもちろん、そう信じている」
尚侍「しかし『言いでしは』ということもございます。いつお心変わりがあることやら。
淵瀬をも分けまいとは思いますが
飛鳥川のそちらの水こそが淀んでしまうのではないでしょうか
とばかり思われます。ひたすらわが身としては『深き心を』とばかり思っております。
帝「ならば試してみるがよい
白川を一緒に流れていこうではないか
どちらの水が相手を思う心でより湧きまさるかどうか」
などとおっしゃるうちに、内膳司にご下命があったのでお食事がたいそう美しく盛られて用意される。浅香という香木でできた折敷が40。そしてその折敷を置く台から敷物までもがたいそう美しく調えられ、器などの美しさは言うまでもない。
同じように美しく盛られた果物や干魚・干肉は今さら珍しい食材というわけではないが、じつにすばらしい。
帝は右近の実頼中将、兵衛督などに、
「今宵琴を演奏した者は、たいそう優れた者であるのだ。せっかく来たのだからおまえたちも、内膳に行き、この前にある食材で少しばかり風情のあるように調理してまいれ。果物なども上等なものを選び取って美しく盛ってまいれ。」
と仰せになるので、君達はあれこれと手を尽くし、その道に達者な殿上人たちが、自らまな板に向かう。華やかな料理人たち三、四十人で調理する様子はまことに美しい。
こうしてすばらしく琴の演奏を終え暁になる頃、正装した内侍司の女官たち40人が40の折敷を持って参上する。
新しく尚侍が任命されたことが知れるやいなや、女官たちは皆驚き、すぐに内教坊をはじめ、あちらこちらから髪上げをし、正装をして大勢集まり、この折敷を持って参上する。典侍がその采配をするのだが、この典侍は高貴な家柄のものである。宮中に出仕し、源氏や親王たちのお世話をする、源氏の娘である。
こうしてみな、尚侍のお供をして参上した大人や女童に美しい賜り物が贈られた。
新しい尚侍の就任を祝う宴が行われる。
40という数字になにか意味があるのだろうか。
兼雅、尚侍を妻と知り、退出の用意をする
かかるほどに、大将のおとど、まかで、もの参りなどするほどに、わが妻と知り果てたまひぬ。大将、あやしく、そぞろにて参りけるかな、と思せど、その人の御妻とて、さる大空の中に出で走りてあるに、殊に恥づかしからず、かく過ぐしたまふ。おとど、いやますますに心憎くなり、かかる妻持たりたる人、いかに異人を見むと、后の宮よりはじめたてまつり、そこばくの人思ほす。げにはた、見目、かたちよりも、うち出だしたる才、生み出したる子など見るに、いと世の常の人ならず見えたまふ人なれば、かへりて面目あれど、むかしより聞こしめしかけて、常に訪はせたまふ、今にても、思し離れで訪はせたまふものを、かくて候ひたまふに、のたまひかかることもこそあれと、心は空に思して、この殿の政所別当左京大夫橘元行の、北の方の御送りに参りたるを召して、のたまふやう、(兼雅)「この里の、にはかに女官の饗したまふベかめるを、かの三条に、ただ今まうでて、さる心設けせられよ。必ず送りに人々ものせられなむ。女官の着くべき方、垣下の男の着きたまふところなど、清らにしつらはせむ」。元行、「御座所は、この相撲に、こなた勝ちたまはばとしつらひ候ふ。御饗のことなどは、こたみはかねて心して仕うまつりたれば、なでふわづらひも侍るまじ」。おとど、(兼雅)「されど、相撲に勝たむ設けにこそあらめ。これは、かくにはかに労ある宣旨にてあることなるを、女の饗などのこと、いと清らになむせまほしき。饗のこと、心殊にあるべし。いはむや、ただ今の女官どももなり。やむごとなき典侍など、はたものしたまふを、用意せむ。宰相の中将もものせむとすれど、ここにまかでられむに、なくては悪しかるべければ」など、いとくはしくのたまひて遣はしつ。
訳
そうしているうちに、右大将は御前を下がり食事などをしているうちに、新しい尚侍がわが妻であると知る。
右大将は「不思議だなあ。なぜこんなところにいるんだろう」とお思いになるが、わが妻がこのような大空を羽ばたくように社交の場に立ち交じろうとも決して恥ずかしく思われることもなく、振る舞っているのをご覧になり、ますます妻を愛おしくお思いになる。
こんな妻を持つ人が、どうしてほかの女に心を移すはずがあろうかと、后の宮をはじめ多くの人々がお思いになる。
右大将が思うには、
「たしかに、容姿をはじめ、今宵披露された琴の才能、そして産んだ仲忠を見るにも、まったく常人のイキを越えているのだから、妻が尚侍になることはかえって面目の立つことではあるが、昔から帝は妻のうわさを聞き、常に手紙なども送られていたのだ。今でさえ、諦めることなく文を送ってきたりしているのだから、こうして身近に仕えることとなるうちに、言い寄ることがあったら大変だ」
ということで、頭の中が真っ白になり、妻のお供としてついてきた、政所別当の左京太夫橘元行をお召しになり、
「我が家で尚侍任官の祝宴として女官たちをもてなさねばならぬだろうから、三条の邸に今すぐ帰って、準備するように。必ず尚侍の送りとして大勢の方が来るだろう。女官の座る席、垣下の男の座る場所など綺麗に整えさせよ」
と命ずる。
元行「御座所は、今回の相撲でこちら側が勝った時のためにと、すでに準備が整っています。祝宴のことは今回は特に心を込めて準備しましたから、どうして心配することがありましょう」
右大将「だが、それは相撲が勝った時用の準備だろう?これは急ではあるもののご配慮いただいた宣旨であるのだから、女性をもてなす宴としておしゃれに決めたいのだよ。祝宴のことは、念入りにやりたいのだ。まして相手は今をときめく評判の女官たちだ。家柄のよい典侍などもいらっしゃるのだから、念には念を入れてね。宰相の中将も帰そうとは思うが、尚侍が退出するときにいなくては都合が悪いだろうから」などと細かく言いつけて帰宅させる。
帝が言い寄ったら大変だなどと心配するも、時すでに遅し。
兼雅パパ大ピンチ!