
宇津保物語を読む8 あて宮#9
真菅、あて宮入内に立腹し愁訴、一族流罪
かくて、治部卿のぬし、あて宮の御ためにとて、家を造りて、調度を設けて、心一つに、よき日を取りて、御迎へにとて、子ども、家の人率ゐて出で立ちたまふ。ある人、「あて宮は、東宮に参りたまひにけり」といふに、治部卿のぬし、家のうち揺すり満ちて、怒り腹立ちていふほどに、(真菅)「いかでか、天下に、国王、大臣にもいますがれども、もろ人のきざし置きて、縁のことに家を造り、閨を建てて日を待つほど、かくはせさせたまふべき。真菅、つたなき身にはありとも、おのが妻がねを人に欲らせしめてはありなむや。政事かしこき世に、愁へたてまつらむ」とて、愁へ文を作りて、文挟みに挟みて、出で立ちたまふ。そこばくの子ども、少将よりはじめて、(子ども)「宮仕へを仕うまつりつつ、官爵の欲しきことは、一ところの御ためなり。かくあるまじきことを申されば、人の国、境までも追ひ遣はされ、流罪の罪ともならばいかがせむ」と、手を擦る擦る申す。
治部卿のぬし、太刀を抜きかけて、(真菅)「汝らが首、ただ今取りてむ。汝はわが敵とする大臣の方によりて、謀らしむる奴なり」といひて、太刀を抜ききらめかして、片端より追ひ払ひて、冠を後方ざまにし、上の袴を返さまに着、片足に足二つをさし入れて、夏の上の衣に冬の下襲を着、靱負ひて、飯匙を笏に取り、沓片足、草鞋片足、踵をば端に履きて、徒歩より参りて、帝の南殿に出でたまへるに、立ちて、白き髪、髭の中より、紅の涙を流して愁へ申す。
文を見たまふに、いふ限りなくさがなきことを作れり。驚きたまひて、治部卿のぬし伊豆の権の守、和政の少将を長門の権の介に、蔵人の式部丞など、そこばくの子ども、放ち遣はされ、懲じたまひて追ひ遣はす。少将泣き嘆くこと限りなし。
〔絵指示〕ここは、治部卿、腹立ちて、太刀を抜きて、子ども追ひ棄てたるところ。娘ども立ち踊りて、憂ひ怖ぢて泣ける。男六人、女四人、手を擦りてぬしにものいふ。
これは、流されたる。馬、車に乗りて行く。子ども、結鞍に乗りて行く。非違の尉、佐などして追ひやれり。
訳
さて、治部卿(真菅)は、あて宮のために家を建て、調度品を整えて勝手に吉日を選んで日取りを決め、あて宮をお迎えしようとご子息や家人たちを引き連れてお出かけになる。それを見たある人が
「あて宮は東宮のもとに入内なさいましたよ。」
と言うと、それを聞いた治部卿は家が揺れるほどに大騒ぎし、激怒して、
「どういうわけだ!たとえ、天下の国王、大臣であったとしても、多くの人が思いを寄せ、結婚を準備して新居を建て、閨を作ってその日を心待ちにしているのに、入内なんてことを勝手にしてよいものか。私真菅は、取るに足りぬ身ではあるが、自分の妻と決めた女性を人に取られて、そのままですますわけにはいかんぞ。優れた治世であるならば、裁判に訴えてやる。」
と、訴え文を作り、文挟みに挟んでお出かけになろうとする。
それを長男の少将をはじめとするご子息たちは
「私たちが宮仕えに励み、官位を求めるのも一途に父上のためでございますが、それなのにこんなみっともない訴えをしたならば、他国や国境までも追放されて、流罪の罪になってしまいます。もしそんなことになったら……。」
と手をすりあわせて哀願する。
それを聞いた治部卿は太刀を抜き
「おぬしらの首をこの場でたった斬ってやる。だいたいおまえは、我が宿敵の左大将のところに出入りしているくせに、さては騙そうとしてるのだな。」
といって、太刀を抜いて振り回し、片っ端から追い払ってしまう。
そして冠を後ろ向きに被り、上の袴を裏返しに履き、袴の片側に足を両方入れ、夏の上着に冬の下襲を着て、武官でもないのに靭を背負い、笏の代わりにしゃもじを手にし、片足には木沓、もう片足は草履を後ろ前に履き、徒歩で帝がいらっしゃる南殿に押しかけ、白髪頭に白い髭をボサボサとさせたまま、血の涙を流して訴える。
帝はその訴状をご覧になると、なんともひどいことが書いてある。帝はあきれかえってしまい、治部卿を伊豆の権守、息子の和政の少将を長門の権の佐に、その他蔵人の式部丞などの多くの子どもたちも追放し、懲罰を加えて流罪となさる。和政の少将はそれみたことかとお嘆きになった。
〔絵指示〕省略
あて宮の求婚者の三奇人のひとり、滋野真菅の再登場。高齢で短気、暴力的な人物であったが、最後まで大暴れである。帝に訴えに行く姿は、気が動転しての狂態であろうか。こんな状態で迫ってくれば、さぞ帝もドン引きしたであろう。
高基、あて宮入内を知り家を焼き山に籠る
かくて、致仕の大臣、かかることを聞きて、水も啜らず、泣く泣くいふほどに、(高基)「われ、むかしより食ふべきものも食はず、着るべきものをも着ずして、天の下、そしられを取り、世界に名を施して、財を蓄へしことは、死ぬべき命なれど、難きことも、財持たる人は、心に叶ふものなり。今は大臣の位を断ちて、ただ思ふこと、このこと一つなり。その叶はずは、今はわが財、あるにかひなし」とて、七条の家、四条の家をはじめて、片端より火をつけて、片時に焼き滅ぼして、山に籠りぬ。
訳
さてまた、致仕の大臣(高基)も、あて宮入内のことを聞き、水も喉を通らず泣きながらおっしゃるには
「私は、昔から食うべきものも食わず、着るべきものも着ずに節約をし、世の人々からバカにされ、吝嗇家といわれながらも蓄財に努めてきたが、それはたとえ死ぬ命であっても、困難なことでも、財産のある者は思い通りになると信じてきたからだ。今私は大臣の位も辞して、たった一つ、あて宮を妻にすることだけを願っていた。しかしそれもかなわなくなった以上財産を持っていたとしても何の甲斐もない。」
といって、七条の邸や四条の邸などを片っ端から火をつけて焼き払い、そのまま山に籠もってしまった。
これも三奇人の一人、吝嗇家の三春高基。お金で買えないものがあることを思い知り、遁世する。こちらは割とおとなしく退場する。
これで三奇人たちのエピソードにもけりがついて、あて宮をめぐる求婚者たちの物語は終わりとなる。