日本の中高生へのお金の教育を考える⑤
続き記事です。前回はこちら。
前回は、管理教育 vs 管理しない教育(主権者教育)から、お金の教育を考えてみました。教えるべきではないこととして、勤め人の画一的なライフプラン(就職、結婚、家購入、出産、子育て、引退)についても紹介しました。あまりに若い時に画一的な人生を正解のように向き合わせてしまうと、人生は自分で作るものだという自主性や当事者性を、大きく奪ってしまうリスクを私は感じます。
自主性や当事者性のある人生は、「ライフシフト」というベストセラー本で明示されましたが、人生は全く画一的ではないし、若者は自由に考えていくべきだと思います。働いてから大学にいく、ギャップイヤーを入れて複数の大学で学ぶ、海外の大学院や博士課程で学ぶ、ワーホリで働く人生だって良い。学生時代に起業する、働きながら副業をして起業をする、マイホームを複数回購入する(その過程で大家業を営む)こともある。外国と日本を渡り歩いて働く、結婚式はあげない、子供を40歳代になって得る。老後も働き続ける、結婚や離婚も複数回する、などなど。社会の情勢も自分の趣味嗜好も目まぐるしく変わります。
そして管理教育にその思想が流れている、他人に勝つお金の教育(相場で他人を出し抜いて勝つなど)、国家繁栄を意図したお金の教育も、中高生には違うのではないかと思います。
さて、次も教育の議論でよく取り上げられる下の2つの切り口からお金の教育を自分なりに考えてみたいと思います。
シグナリング仮設 vs 人的資本仮説
パッシブラーニング vs アクティブラーニング
です。
<シグナリング仮設 vs 人的資本仮説>
こちら「人は何のために学習をするのか?」という2つの異なった仮説です。2つは対立する概念ではなく、どちらも真理を得ているのですが、学習や教育を考える時には大切な概念であると思っています。
シグナリング仮説とは、自分が〇〇の能力がある、XXが得意である、と周りに示すために人は学習をする、というものです。シグナル=サインを発するために学習を行うということです。代表的なシグナルは、卒業校、学位、資格、テストのスコア、表彰などですね。肩書きや履歴書に書いてあるシグナルを見て、その人の能力を測ったりすることは、誰しも経験があることです。実際、個人と社会がお互いのシグナルを感じられた方が社会のミスマッチが減り世の中は豊かになる、というのは多くの方が納得感を持たれるのではないでしょうか。
もう一方の人的資本仮説は、人の能力は教育投資をすることで高まる、という仮説です。子供に習い事をさせたり、学校に行かせて読み書きを教えれば、社会的な能力が高まっていくと考えます。狼に育てられた少女などの話は有名ですが、人間は生まれた時点で人間ではなく、教育を受けることで人間になるのだ、という考え方です。大人になってもリスキリングが大切というのはまさにこれです。この考え方も、多くの方が納得感を持たれるのではと思います。
さて、この2つは相反するものではなく、どちらも正しいし、社会を良くするための教育の解釈というのが私の見解ですが、違いも少し考えてみましょう。
シグナリング仮説は、個人の能力は天から授かった生まれながらの才能に影響を強く受けるという考えが強いです。実際、大谷翔平選手ではないですが、皆が160kmを投げれてホームランを打てる訳じゃありませんよね。教育課程は人を選抜するための社会的な有効手段であり、その判断をフェアにすることに知恵を絞っています。
一方の人的資本仮説は、個人の能力は教育で如何様にも変わるという考えが強くなります。生まれながらに授かった属性を無視します。性別や人種や国籍や年齢などに関わらず、とにかく教育をすることを重視していきます。例えば多民族国家のアメリカでは、ご存知の通り様々な人種差別との戦いがありました。昔は、白人が生まれながらにして優れていると思われていましたが、現在は人種に関わらず能力は変わらないという前提に立っていて、公平に教育が施されるようになっています。
それでは、中高生にお金の教育をしていくにあたっての立ち位置ですが、私としては、後者を大事にしていこうと整理しています。「日本人はお金の話が苦手」「農耕民族だから投資には向いていない」などがよく言われてきましたが、いやいや、それは国籍や民族やDNAのせいではなく、より教育の問題である、と思っています。
また、日本の中高生に何を教えるか?において私が気をつけていることは、アメリカなどで教えられていることを日本人にそのまま教えない、という点です。英語で書かれた有名な本やノーベル賞をとった理論などを、日本人に同じように伝えても、日本人のお金に対する人的資本は高まっていかないと思います。これは、僕がこれらを学んだとき、それを自分の人生に投資などを載せる時に非常に相性が悪かった体験からもきています。
米国と日本では社会の仕組みや価値観があまりも違いますし、米国でこう教えているから日本でもそうするべきだ、という考えはできるだけ取り払おうとしています。答えを探すのではなく、自分の頭で考える。それを大事にしていきたいと思います。
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