誰かの人生を背負って生きていくことほど、辛く苦しいものはない。
7月、20記事投稿するって言ったくせに。心が疲れていて文字をまとめて文章にするのが捗らなかった。
またそうやって自分を甘やかしたのかもしれないけど、文を書くことは自分にとって楽しいことにしておきたい。苦痛をしいることではないのだ。
耐えきれなくなって旅行に行ってみたから、いつか最高だったその話も書きたい。
7月もいろいろあった。
私が休んでいても当たり前に世界は回っていた。その日もきっといつも通りにはじまって、いつも通りにおわるはずだった。突如、俳優の自殺報道が流れた。
誰かの人生をかけた選択や言動について語ることができるほど素晴らしい人間じゃないので、言葉を当てはめるようなことはしない。
ただ、生きたいと強く願って自殺を選んだのだろうから、せめて今は心安らかに幸せでいてほしいと祈る。
報道が出たその日、生放送の音楽番組があった。あまり詳しくない私でもとっても親しかったことを知っている俳優が、涙をためて歌っていた。
仕事を投げ出さずにテレビを通して誰かに感動を届ける姿に胸を打たれた。こちらまで辛くなった。
その俳優が後日SNSに「彼の分まで頑張りたい」「前を向いていきたい」と投稿していた。
その努力や人柄を知っているからこそ、そういう気持ちがすっと湧き出たのだろう。
私は思う。どうかしょいこみすぎないで、しっかり悲しんで辛いと泣き喚いてもいいんだから、そうして少しずつ大丈夫になっていくんだ。と。
言葉でどれだけ「笑顔で前を向いて生きていこう」といってもきっと、希望は遠すぎて見えず、一生立ち直れないのではというほどの苦しみの中にいると思う。
それでいい。そうやって生きていく1日の積み重ねが、大丈夫にしてくれる。
この出来事にコメントをしている有名人に「彼のために彼の分まで生きてください」と言っている人がいた。
そんなつもりではないのだろうが、それは他人が言っていい重さの言葉ではない。生きている人間が、この世にいない人の人生を背負って生きていくことは、とても重たく覚悟と勇気がいることなのだ。
16歳2ヶ月で、親友がこの世を去った。
夢に向かって必死に努力していた姿を私は知っていた。
だから、形は違えどその夢を私が彼女の分まで叶えてあげたかった。
悲しんでる姿をは見たくないだろうから、と泣かなかった。
学校生活がうまくいかないことだらけで段々と自責の念が強くなっていった。
そうして私は死にたくなった。
そんな時、友人からの手紙に「あなたの人生を、彼女とい一緒に歩んでいけばいい」と書いてあったのを読んで、すとんと何かが落ちた気がした。
生きている人間は生きているのだ。あなた自身の人生がある。喜びも悲しみもある。いなくなってしまった誰かの分を背負うのではなく、あなたの人生をその人と作っていけばいい。
そうしていつか寿命が来て、再会できる日をゆっくり待てばいい。
あなたの一生に沢山の幸せがありますように。
p.s.
例えば愛してると、大切だと伝えられていたら、この世界で一緒にいられたのだろうか。その選択を思いとどまってもらうことはできたのだろうか。
生きることを決めたとして、そこに彼の幸せはあったのだろうか。
自死を選んだことが彼の人生のすべてなのだろうか。それまでの30年という時間は決して長くはないが、一つの終わり方で「かわいそう」になってしまうのだろうか。