あれから二年
自分の膀胱炎騒ぎですっかり吹っ飛んでいたけれど、8月1日は私にとっては忘れることのできない運命の日だ。
二年前、夫が定期健康診断のオプションとして気まぐれに受けた肺CTで発見された膵嚢胞。
ほとんどは悪さをしないものだが、ある程度の大きさになると、膵臓がんになる恐れがあり、100%安心とは言い切れない良性疾患。
見つかったとき、既に夫の膵嚢胞は5㎝以上あり、放置しても構わない範囲を大きく超えていた。
「手術になると思いますよー」
精密検査を受けるべく紹介された大学病院の医師は、こちらの顔を全く見ずに、無表情なまま端末に向かい、検査予約を入れていく。
病状に対する何の説明もない。
しかも、令和の大病院において、未だ看護師がカルテを手に、大声で患者を一人一人呼び出すアナログぶり。
ひとつひとつの作業にうんざりするほどの時間がかかり、要領が悪いのなんの。
待合室はぎゅうぎゅうで、具合の悪い患者が座るスペースすらない。
ふだん温厚な夫がブチ切れて、「こんな病院、二度と来るか!」と吐き捨てる。
そのまま全ての予約をキャンセルして、病院を変えた。
手術になるなら、安心してかかれる病院がいい。
他でもない膵臓の手術だ。
優秀な外科医でなければ命を預けられない。
迷うことなくがん研に行った。
私がずっとお世話になっていて、よく知っているからだ。
そう考えると、私が過去にがんになったことにも意味があるように思える。
がん研では、期待どおり、この人なら・・と心から信頼できる医師に出会うことができた。
無事に膵頭十二指腸切除術を終え、一週間。
「今日を乗り越えれば、あと一週間で退院できるって」
朝、夫から元気そうなLINEが届いた。
よかった!と思ったのも束の間、午後になって、
「炎症反応が高いらしくて、急きょCTを撮ったら、どうやら膵液漏れが起きていて、近くの血管を傷つけて出血してるらしい。大出血を起こすと大変だから、これから急いで処置することになった。優秀な先生たちがついているから心配しないでね」と伝えてきた。
「心配しないでね」って、これが心配せずにいられるか!
膵液漏れからの血管損傷、出血。
恐れていた中で、最も起きて欲しくなかった最悪の合併症だ。
あのときの不安が的中した。
術前の最終説明で、主治医がぽろっと言ったのだ。
「Hさん、膵臓が元気なんですよね」
膵臓が元気。
・・ということは、膵液漏れが起きやすいということ。
その知識は調べて頭に入っていた。
やだなあやだなあ。
膵臓が元気がないのはもちろん困るけれど、元気なのもこの場合は考えものだ。
どうか何事もありませんように。
怖いことが起きませんように。
必死に祈ったのに。
「必死に祈った」で思い出したことがある。
とある番組で、重病の娘の回復を両親が必死に祈り、そのおかげで奇跡的に生還したという話を感動物語として伝えていた。
出演者が口々に感嘆し、涙する人までいる中、ゲストの一人が言ったのだ。
「でもまあ、必死に祈っても叶わないときは叶いませんからね。祈ったから助かったと思ってもいいけれど、それは助かるべくして助かったわけで、祈らなかったら助からなかったということではないから。大切な人を失くした人たちが、祈りが足りなかったから助からなかったんだとは思って欲しくない」
正直なところ、お笑いを見ない私は芸人の知識がなくて、芸人というのは面白おかしく適当なことばかり言っているものだという偏見すらあったのだが、そのときのゲストの発言にはとても胸を打たれた。
それはともかくとして、私の願いも虚しく、夫が「膵液漏れからの血管損傷」という命の瀬戸際に立たされたのが2年前の8月1日。
夕方になっていたが、すぐに荷物をまとめて病院そばのホテルへ向かう。
あの頃はコロナの隔離対策が厳しくて、緊急事態だからといって病院に入ることはできなかった。
手術日以降、何度か宿泊したホテルの狭い室内をうろうろうろうろ。
歩き回ること三往復ぐらい?
早々携帯が振動した。
「やあどうもどうも、がん研の〇〇です」
主治医だ。
とてものんきな声だ。
「ご心配おかけして、お騒がせしてすみませんでした。
いまね、無事に処置終わりましたんで、そのご報告です。
ご主人も本当によくがんばってくれて。
出血箇所も見つかって、あのね、イメージとしてはアロンアルファみたいなボンドでしっかり止血しましたんで。
もう大丈夫ですから、安心してくださいね」
へなへなと力が抜ける。
よかった。
助かった。
最悪なことは起きなかった。
これはやはり祈りは通じると思うべきだろう。
ありがとうありがとうありがとう。
その後、夫からも、
「先生たち、すごかったよ!!」という感動のLINEが届く。
意識下でのカテーテル治療なので、医師たちの会話が逐一耳に入っていたようだ。
「なんかね、野戦病院にもいたことがある敏腕医師らしくて、周りにいた先生たちもみんな感心してた」とのこと。
主治医の外科医にも恵まれたけれど、カテーテル専門医にも本当に恵まれた。
運がいい。
運がいいといえば、そもそも肺がん検診のために受けたCTで、膵臓の病変を見つけてもらったこと自体、ものすごくラッキーなのだ。
肺のCTなのに、膵臓?と思ったもの。
それも、良性のうちに見つけてもらえて。
夫はそのあとさらに胃内容排出遅延という厄介な合併症を起こして再入院し、8月はまるまる病院にいることになったけれど、それから二年経った今、とても元気にしている。
乗り越えられないかもしれないと思うほど精神的につらい経験だったけれど、それでもふんばって、堪えて、今がある。
8月になるたびに、あの日のことを思い出すのだろう。
病院に向かう電車の窓から見た、燃えるように赤い夕陽の色。
恐らく暑い日だったのだろうが、暑かったのかどうかすら覚えていない。
生きていながら息をしていないような感覚。
自分の体が宙に浮いているように感じたあの日。
あれから二年。
「生きているだけで丸もうけ」とか、「置かれた場所で咲きなさい」などという言葉が私は嫌いだ。
生きているだけでつらい人だっているだろうし、こんな場所でどうやって咲けばいいんだ?という環境にいる人だっているだろう。
一見ポジティブなそれらの言葉も、所詮「自己責任」と突き放す言葉にも聞こえる。
けれどもし、「生きているだけで丸もうけ」と思える状況にあるならば、素直にそう思おうではないか。
いま夫は生きている。
私と一緒にいる。
あたりまえの毎日があたりまえなのではなく、一日一日が奇跡だ。
何でもない日常にこそ幸せはある。
夫の命を救ってくれた全ての方々に深く感謝します。