記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

誰かと競うためではなく、見せびらかすためでもなく

誰かと競うためではなく、見せびらかすためでもなく、ただ自分ひとりを満たすものだけに囲まれた静かな生活にひかれる。

日経新聞朝刊2024.1.23「春秋」

空虚な心にストンと響いた言葉。

誰かと競うためではなく、
見せびらかすためでもなく、

今の時代、当人にその気がなくても、誰かと競う気配、見せびらかそうとする欲、そんなものを感じさせる材料がゴロゴロある。
一般人が(この「一般人」という言い方、有名人の結婚報告などによく使われるけれど、ちょっと嫌な響き)、どうしてそこまでアピールするの?と理解できないぐらい、自撮り全開で、食べたもの、買ったもの、行った場所、住んでいる部屋、諸々をキラキラと輝かせて公開する。

ほんと、何のためなんだろう?

「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」なんていうけれど、六十を過ぎても、自分が何をどうして、この先どうしたいのかわからず迷子になっている。
このままでいいの?
このまま何もしなくていいの?
でも、何かするって何?
考えれば考えるほど、過ぎてきた時の長さと残された時間の短さに焦るばかり。

そんな時に目にした『春秋』の言葉。
もしかしたら、この焦りは、無意識に、「誰かと競うため」、わかりやすく言うなら「見せびらかすため」に生じているのではないか?
私はこんなことをしてこんなふうに生きてきましたよ!と。

でも待って。
それが私の望みだろうか?
違う。

誰とも競わなくていい。
見せびらかすなんてむしろ嫌。
私は私のままでいい。そのままでいたい。

『不適切にもほどがある』の中で、自分の運命を知ってしまった小川に、サカエさんが言う。

今考えても、その時考えてもたいして変わらないなら、今は、日々を楽しく、好きなように生きたらどうだろう

結局、それしかない。

小川曰く、
「どうなるかわかってる人生なんて、やる意味あるのか?」

現実には、「どうなるかわかってる人生」なんてないから、わからないなりに、見えないゴールに向かって歩き続ける。
どうなるかわからない人生は怖いけれど、どうなるかわからない人生だからこそ、生きる意味がある。
「生きる意味がある」というのは、生きて何事かをすることを求めるのではなく、ただ生きることそのものに意味があるという解釈。

だから、何をしなくても、何者にもならなくても、淡々と生きる。
それだけでいい。
「何もしない」といっても、本当に何もしなければ食べられないし、食べられなければ生きられないのだから、どんな人でも、生きている以上、何かしらを為し続けているはずなのだ。

ただ自分ひとりを満たすもの

改めて、自分とじっくり対話したいと思う三月の入口。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?