
一度だけ
父親は石鹸の代わりに明太子を使い、シャワーからは豚骨スープが出てくる県の出身だ。そして父親の父親(僕の父方の祖父)は昔っからの九州男児で、家に居る時は一切喋らず、笑わず、動かず。(どこかのお宮にも似たようなお猿が居たような気がする)もちろんキッチンに入ることなんてしない。
父親がそういう祖父の子どものため、ご想像の通りいわゆる”堅物””頑固者”まさに”THE 九州男児”なわけである。(もちろん世の中の九州人全員がそういうわけではない。もちろん僕は奥様優位、可能な時はご飯も作るし、「おい、お茶」なんて言おうものならお茶ッ葉を口に突っ込まれ熱湯を直接注がれかねない。つまり時代は変わったのだ)
家にある本は辞書、時代小説、将棋の本などで、雑誌は一切見たことがない。新聞も経済新聞をとっており、子どもにしてみたらTV欄すら見たくもないつまらなさ。全く、そこまで徹底しなくてもいいのにと子どもながらに思ったものである。
そんな父親が泣いた。
ポツリポツリと母親が話し出した。これは20代後半くらいになって聞いた話。
久しぶりの帰郷をした僕は家でダラダラ過ごしていた。僕は飲食店に就職をしていて、飲食業界では珍しく連休が取れたため実家に帰ってみた。
*訛りは正確ではないため上手いこと脳内変換してください。
母親がお茶を淹れながら言う『仕事はどうね?』
僕はまぁねと答える。
『結婚はせんとね?』「相手がおらんもん」『あらそう』
そんな他愛のない話が繰り広げられる。不意に母親が言う。
『お父さん、泣いとったとよ』
「なんでよ?」
『ほら、あんたが学校行きよらん頃』
「あぁ、あの頃」
『その話は嫌ね?』
「べつに」
『一番ひどかった時はいつかね。福井先生が来よんしゃったころじゃけん、13,4歳の頃かいな。お父さんがくさ、会社行くっていつも通り出てったのよ』
「うん」うちの家ではなんとなくこの頃の話はタブーとされており、誰も話したがらない。まぁ、当たり前っちゃあ当たり前。あれだけ家の中がグチャグチャになったんだから仕方ない。
『会社行くっていつも通り言うけん、普通に見送って。あんたはまだ寝てるから放っておいたけど。お父さん、あいつは今日も(学校に)行かんのか?っていうからさ、はいって答えたのよ。』
「うん」
『そうか、分かったって。』
『話変わるけど、夫婦喧嘩も絶えんかったのよ、あの頃』
「それは…スミマセン」
『お前の教育が良くないから学校行かんくなった!とかよう言っとった』
「へいへい」どんどん肩身が狭くなる。
それは僕が中学2年。不登校真っ盛り。壁をぶん殴り、親からぶん殴られ、家出をして、家出をして、家出をして…と不登校イベント満載の頃のお話。
『なんの話やったっけ』
『あぁ、そうそう』この話が飛んで飛んでよく分からなくなるのはどこの家も同じなんだろう。
『でさ、昼過ぎくらいになったら、家に電話がかかってきたわけ』
『もしもしー、って出たらさ。誰やったと思う?』
「・・・」これはめんどくさい質問だ。
『誰やったと思う?お父さんからだったと!』
「まぁ、話の流れ的にはそうでしょうね」
『どうしたの?って聞いたら”今日は会社行けなかった”って。”公園で時間つぶしてるって”』
『そうですか。そういう日もあろうね。まだ家に帰ってこない?って聞いたら、いつも通りの時間に帰るってさ』
「うん」
『そしたら不意に静かになったなって』
「うん」
『そしたら泣いてた』
「そう」
『お父さんが泣いてたのよ』
「うん」
うんと答えてみたものの、僕の中のイメージでは”THE 九州男児”なわけで、人前で特殊な感情を出すなんて想像ができなかった。
母親はそれとなくなんで行かなかったかを聞いていたようで、話を続ける。要するに、会社が嫌で行きたくないというわけではなく、僕のことでイライラしてしまい仕事が手につかない。そして部下に当たり散らしてしまうのではないかと思い仕事を休んだそうだ。
「そうか」
これ以上何と言えば良いのか分からない。
母親は続ける。
『なんで学校へ行かないのか分からない。理解ができないって』
「そりゃ分からないだろうね。当事者じゃないもん」
『そうだけど…』
母親もこれ以上は突っ込んでこない。
それ以上この話題が広がることはなかった。多分、時期尚早だったのだろう。お互いが変な空気になるのを感じ取ったためか、TVのボリュームを少し上げて重い空気を吹き飛ばしていた。
「それじゃあ、帰るわ」
『うん、気を付けて』
『お父さん?帰るってよ』
・・・。
遠くから”あ~”と声が聞こえる。
「新幹線の時間あるから行くわ」
『うん、気を付けて』
「じゃあね」
『はーい』
不器用な人だ。と、内心思ったが、もし僕が器用な人間だったなら不登校にはなってないだろうなと、血は争えないという現実を思い知った。
父親が泣いたと聞いたのはこの一度だけ。
本当に不器用な人だ。
家に帰り、お湯の中で踊る麺を眺める。
出来上がった自分へのお土産である”豚骨ラーメン”を食べながら、自分もああいう風に頑固おやじになるんだろうなと考える。
*不登校って
腫れ物のような雰囲気になるよね。
危険人物のように扱われるよね。
病気のような反応をされるよね。
理由は人それぞれで不登校の時の気持ちって当人以外は分かるかもだけど、実際は解らないよね。だから不登校児からしてみればなんで分かってくれないの!だし、不登校児の親からしてみたらちょっと何言ってるのか分からない…という状態。
不登校児が腫れ物というなら触らない方が治り早い場合もあるし、危険人物なら写真撮って特徴や特性を理解しないとね。そして不登校児を病気と言うのなら不登校児の健康とは何かを真剣に考えなくてはいけない。(要するに表面上で解決しても内面は解決してないよ)
親だって完璧じゃない。子どもだって完璧な子供じゃない。
親だって泣きたいし、子どもだって笑いたい。
寄り添う時間が大切だと僕は思う。
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