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子猫炭次郎の噛みつきと母子関係性について

家にきた左目失明の子猫、炭次郎の噛みつきぐせが治らない。

彼は、戯れるときにも噛むが、甘えるときにも噛む。すでに鋭い歯で思いきり噛むので、常に私の両手は血だらけである。タロットのシャッフル時に傷が痛む。叱り飛ばしていたが、ある時、効果薄いとわかり やめた。今まである程度の数の子猫を飼育してきたが、この猫のようにガブガブと噛む猫というのは初めてである。この攻撃性。机の上に乗るなというしつけもできず、人が何かを食べているととにかく速攻でやってきては食べ物をかすめとる。元野良猫の子猫でさえ、今まで里親になってきたのに、こういうことはなかった。少なくともすぐに治った。

推測だが、多分、炭次郎は元野良猫ではあるが、かなり心も痛手を追っている猫だろうと思う。人間で言えば虐待されていたような子ども。噛みつくことでしか愛情表現を知らない。かなり早期に母猫からはぐれてしまった可能性が高く、この攻撃性がよくも悪くも、彼が片目を失いつつも生存できた証であろう。

人間も早期の母子関係、親密な重要保育者との関係がうまく築けなければ、ましてや虐待を受ければ、非常に攻撃的、反抗的な態度になるのである。それは、小児実習の保育園で経験済である。自分を受け入れてくれるかどうかを、攻撃し続けることで試す。この大人は信用できそうだと思った途端に、べったりと甘え、他の児童が自分のそのお気に入りの大人のところに来るのを許さない。

どうしてこの大変な子猫がうちに来たのか、考えざるをえなかった。

最近、子猫はたまに舐めることを覚えた。噛んだり、たまーに舐めたり。どこで褒めるのかタイミングが難しい。

あるひとは、自分のある失敗を母親に酷く咎められ、子どもながらにその処理を泣きながらしたことがトラウマになり、もう40年以上、そうした関連のことで誘発発作を起こしていた。それが、人から切り離されることでようやく治ったのである。そのひとの小さな成功体験の話を聞いて、私は自分が存在した意味と意義を噛み締めたのであった。そのために自分がいたのだと思った。それは人からしたら、ほんのちょっとしたなんでもないことであり、だからどうしたの?と思うことであろう。でもそれは心理学的に非常に大きな意味を持つのである、その人にとっては。そしてそれをわかる人間が少ないことも私はよく知っている。この世界に多分5人いるかどうかであろう。そういう世界に生きている。

人の物語というのは、えてしてそのまま受け取ってもらえるということは少ない。ましてや人の認知のバイアスにかかってしまえば、過大評価もされ、過小評価もされる。

だからこそ、占い師は、それをあるがまま、受け止めることができる能力、いろんな角度から見たり問い直す能力、そしてその語られる物語を大切に扱うこと、カードからそれをあるがままに伝えることが大切なのではないかと思う。求めすぎなのだろうか。

この2−3日、徒然と考えたことである。

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