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「いずれは自分の本分に還ろうと思う」この言葉が、わたしの中の何かを変えた。

あっという間の11月。
今年はまた一段と早く日が過ぎていく気がしている。

2月の引越し、新しく始めた漢字のイベント、大学の実習やレポートと、
順調に行っていたはずが、8月にわたしが身体を壊した。

そして9月には母の脊柱管狭窄症が悪化、自立歩行が困難になった。
さらには10月には帯状疱疹も発症した。
高齢での手術は何かと心配だったけど、
どっちみちこのままでは寝たきりに一直線、
手術で何かがあったとしても、痛みがとれればいいと言い出して、
急遽主治医と相談。
総合病院への紹介状を書いてもらい、手術を受けた。

医学の進歩や、運強さもあり、手術は無事終了、
簡単なリハビリをしながら、10日間ほどで退院した。
今は、家で出来る範囲のことをしながら、
なんとか毎日を過ごしている。

わたしはといえば、勤務と授業と家のこと、
母の介助をスケジューリング、
姉や妹とも連携しながらなんとか過ごしている。
おひとり様生活をずっとしてきたわたしには、
なかなかハードな毎日である。

そして母の状態が悪くなるのに比例して
わたしの精神状態も不安定になっていった。
たまたま心理学の授業で心理検査があり、
自分自身を検査みると、それが顕著に表れた。
わたしがこれまで自由気ままに過ごしてこれたのは、
母のサポートや存在があったからだと、
改めて気付かされた。
これからますます不都合になっていく母、
そしてこれはわたし自身にも言えること。
まだまだ若い!という言葉にはなんの意味もない。
自分自身に与えられた残り時間なんて、誰にも測れない。
悠長なことは言っていられない。

また、この気持ちに呼応するように周囲の状況も緩やかに変わりつつある。
止めたくても止められない時が流れていくのを感じる。
そしてそれはそれぞれが置かれている状況で、
誰もが感じていることなのだろう。
「いずれは自分の本分に還ろうと思う」
そう言った人がいた。
この言葉が、わたしの中の何かを変えた。

自分はどうありたいのか、
自分の本分を何処に置くのか、
そのためには何が必要なのか、

棚卸しが必要だと思った。

違う!
今更棚卸しなんて必要はない。
自分の本分なんてずっと前から決まっている。
ただ、そこから目を逸らしていただけだ。

心がそう言っている気がする。
その声をもっとよく聞こうとすると、
身体の芯が熱くなるのを感じる。

だからもう目を逸らすことは許されないだろう。
わたし自身がそれを許さないだろう。


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