人狼と人生
人狼初心者が経験者に詰められて苦手になったというポストがバズっており、
X上ではいろんな方がいろんな私見を展開しています。
それに乗じて「人狼のこんなところが嫌だ」とか
「こういうプレイする人がいるんですけど〜」など、
元のポストには関係ないことを語り始める人たちも出てきました。
ってなわけで僕の人狼についての自分語りしていきます!
初心者とそれ以外
人狼に限らず経験値や知識の量で差が出るゲームでの
〈協力して成果を目指すもの〉
は、さまざまな思いや意見がぶつかって当然です。
知ってる、知らない
は0か1くらい大きくかかわるのでゲームをぶっ壊す可能性すらあります。
僕もいろんなゲームで「あーあ…」という空気を作り出したことがあります。
知らないということを知るのはやってみないとわからないことが多く、
どうしてもあらかじめ調べるだけではわからないこともあります。
会社でそういう知識や経験がないから起きてるミスを見た時にキレて詰める人がいる会社を、
新人が良い仕事場だと思うことは難しいです。
つまりミスが起きたあとに
怒りを露わにするのではなく、空気を悪くせず教えるというのが大事だと思います。
バズったポストの人や、
SNSでスプラ(特にサーモンラン)で対処法にキレたりしてる人は前者ですね。
特にゲームで「知らなかったでは済まされない」というのは
オワコン化させると言われている害悪古参とかと同じです。
初心者でいろんな経験をする前に嫌な気持ちになったら
じゃあもうこのゲームは精神衛生上しないかなって思います。
人気のあるコンテンツのイメージを作るのは頻繁にやっているプレイヤーだと思ってます。
よく「あのゲームは民度が…」って聞いてやらない人多いですよね。
だからよくやる経験者側が立ち振る舞いを考えなければならないことの方が多いと思います。
ちなみに僕には優しくしてもらった例もあります。
テラゾーさんのポンコツ人狼では、
自分が人狼で霊能語りをしている時にテンパって噛んだ日にその人を占ったと言ってしまい、
「…確認だけどその人を観たんだよね?」と優しく言ってもらい、
ゲーム終了後の何も分かってない僕に「藤吉さん、アレは新しすぎますよw」と教えてくれました。
ついこの間のしうねさんのアモアスでは、
キル役職しか起こらないバグというのを知らずにバグったことを細かく議論中に言ってしまい、
何人かの経験者の方には伝わっているがその時には深く言及せず、
ゲーム終了後に
「あれはキル役職しか起こらないバグですよ」といじって笑い話にしてくださり。
なんにせよ優しい人たちはいっぱいいます。
おかげで僕は知識が一つ増えて、また楽しくゲームに挑めます。
ありがとうございます。
こっちも教えてくれてありがとうというのをちゃんと言葉に出せたら良いなと思います。
僕が人狼をやらない理由
人狼系のゲームはいくつかあると思いますが、
僕は基本的に人狼のお誘いは全て断っています。
アモアスはノリノリで参加しますが、
人狼やフェインはお断りしてます。
プロ冬はPC操作がカスなので無能ですが誘われたら参加してます。
大きな差としては、
①議論が中心であること
②死んだり吊られた後することがない
という2点からです。
①議論についてですが、
僕は嘘が下手ですし話を聞いて理解するのに時間がかかるタイプなので、
黙って聞いてて飲み込む前に次の人の話になってしまうことが多く、
まるでついていけないからです。
メモのツールを使ってわかりやすくしたうえでもついていけなかったり、
ツールに脳のリソースを持っていかれたりして精査ができません。
素の村人陣営ならまだ夜時間に整理ができますが役職持ってると
時間制限内で行動するということに焦って理論立てた行動もできなくてどんどん詰んでいきます。
そうです。
ちょっとアホなのです。
だから誰が怪しいとかどうすればよかったとかもわからず進んでいきゲームが終わります。
その点アモアスは位置やタイミングという絵とし考えれる情報がありますのでかなり整理がつきやすいです。
アモアスでも議論に追いつけないことが多いですがまだギリギリなんとかって感じです。
あと性格上、人の話を遮ったりできないので、
「それを早く言えよ!」みたいなことを言われたりします。
②死んだらすることがないという点ですが、
これは完全にわがままです。
人狼やフェインは村の結果を求めるゲームです。
みんなで1つのゲームを作るというという点から死んでもどうなるかを見て聞いて考えたりできます。
なので話聞いたりするのも大事なのですが、
なんせ前述の通り議論についていけないので話せることがない。
つまり自分視点の配信はほぼムービーになってしまいます。
アモアスはタスクやったりサボやったり
人の行動追っかけたりで自分に選択肢が生まれますし喋れることも増えます。
ゲーム配信をやってるという感覚です。
ついでに付随する僕の考え方なんですが、
村利あるからのローラーや自分吊りを渋ります。
村の結果を求めるゲームとしてはわかりますが、
登場人物としては死にたくないのは当然です。
アモアスは死んでも役割として生きてるのでローラーでの自分吊りを飲めますが、
他は自分からゲームを降りてる感覚があるのであんまりです。
あとこれはたまたま経験をしたからなんですが、
他視点のコメントで悪く言われたことがあるのでやりたくないです。
ポンコツエンジョイ勢
あとこれも自分が前から自分に感じていることで。
勝ち負けによる幸福度が左右されないんですよ。
ざっくりいうと負けたことによる悔しさが全くないって感じ。
大半の勝負やゲームを負けてきたので負けてもなんとも思わないし
勝った時はラッキーだなとかありがたいなとしか思わない。
そもそもボドゲの動画でも顕著に出てますが勝つための攻め方がわからない。
ルールは理解してるのに負けないようにってだけで勝ち取り方がわからない。
将棋も1手先が読めない。
大富豪もなんと無く出していっちゃう。
勝ち方を考えるという機能が全くと言っていいほどない。
思えば少年野球をやってた時も一生懸命練習してても負け続け。
友達と真剣にゲームで遊んでいても負け続け。
受験で受かったのはたまたまだし。
別にいきたい学校でもなかった。
大人になってからのいろんなことに負け続け。
気がついたら自分を別の世界に引っ張って連れて行ってくれる友人が現れて。
大喜利の大会の時もそう。
勝ったときは勝利の喜びよりタッグの相方への感謝の方が遥かにある。
ちょっと話がズレたけどとにかく実力で勝ち取ったと思ったことが一度もない。
根本的に勝ち方、攻め方がわからない。
ボドゲとか人狼とかでも勝ったことはあるけど
周りの人の議論のおかげだったり、いろんな要素が絡まったときにたまたま勝たせてもらっただけ。
人を蹴落とす系のゲームとかなおさらわからない。
勝ちは幸福ではなくいただいた結果だから。
人と関わるゲームだから楽しい空気を作るために勝ちを求めるけど、
勝ち方がわかってないからガチガチの方の楽しさは提供できない。
これが僕のエンジョイ勢。
エンジョイ勢も人それぞれだしね。
いーっぱい書いたけど自分語りです。
最後まで飛ばさず読んだ人はありがとうございます。
飛ばして読んだ人もいいねだけはしていってね。
アモアス大好き。