2011年 「カブールにタリバンは来ない」と彼は言った
こんな知性が存在する英国の政界が羨ましい、と極東の国の一小市民として思いました。
2002年にタリバン政権崩壊直後のアフガニスタンで、酷い扱いを受けていた現地のわんこを一匹お供に連れて、まだタリバンのいる地域を
一日3~40Km 徒歩で
36日間歩いて旅したイギリスの元外交官が書いた旅行記です。 その当時は移動したヘラート~カブール間は電気もひかれておらず、冬だったので山岳地域は3メートルの積雪があるところも。
なんで、そんな旅を? ムガール帝国初代皇帝バーブルが旅した道程を同じように徒歩で旅する、というのが趣旨だったようですがこの人ねー、2000年から2001年にかけても16カ月間、イラン・パキスタン・インド・ネパールも歩いて旅しはった。(←突然関西弁になった)
なんでも故郷のスコットランドをてくてく歩いてる時に、このまま歩き続けたらどこまでいけるんだろう?とか思ったそうで…(?!) 旅を愛するワタクシでもわかるような、わからんような…
ウィキペディアの写真、もっといいのなかったの?、と思うサルっぽい笑顔の写真が載っています。 ちょっとミック・ジャガー入ってる的な、あー、イギリス人の顔だ、と思いました。ユダヤ人の血も入ってるみたいですが。
本名は Roderick James Nugent Stewart 香港生まれ 外交官としてインドネシア、モンテネグロ、などに赴任。 ウィキ、ちらっとナナメ読んだところ大学生のとき、ウィリアムとハリーの王子二人の夏休みの家庭教師だったんだって。
11か国語が堪能だそうです!? 頭の中、どないなっとんねん。 パシュトー語やダリー語など幾つかの彼の地の言語は話せるようです。
今の肩書はFormer International Development Secretary 元国際開発大臣
保守党から国会議員になって、2019年にはロンドン市長選に出る、とか言ってたけど結局出馬しなかった模様。
初めて読んだのは翻訳出版の次の年の2011年頃。 既にもう10年経つわけですが。面白くて夢中で読みました。
タリバンがカブールを制圧してからここ一週間程の報道で、アフガニスタンが未だに各地の部族社会で構成された国だ、ということをテレビなどでの報道で何度か耳にしました。
彼がその地その地の部族が自治する異なった部族社会を幾つも越えて目的地カブールに辿り着いた方法は、次に向かう地域の部族の長宛に「この英国人をゲストとして迎え、安心して休めるように宿を与えることを求む」という手紙を書いてもらい、その手紙を通行証代わりに次の部族の長にその地域を安全に旅できるよう保護を依頼する、というもの。
脅される、銃を向けられる、貧しすぎて与えられる食べ物がパンとお茶だけだったり(寒い冬に一日30km歩いてたどり着いた後)、12歳の英語を話す封建領主に出会ったり、お供のマスティフ犬を「置いてけ」と取られそうになったり、地雷が爆発する、崖から落ちる、薄氷を踏みぬいて犬とともに川に落ちる、歩きたがらない犬をなだめながら1m以上積雪のある山を12時間以上歩いて越える、赤痢にかかって苦しむ、熱が出て薬飲んでるとその薬をタカられる…
などなどを淡々と、淡々と描かれています。 出会う人々の風貌、言動、厳しい自然の中で出遭ったまだ一度も報告されていないだろう遺跡、など
何を見ても誰と会っても何が起こっても
ストイックに淡々とした描写で描かれています。なんで、途中から感覚が麻痺してきて、何が起きてもそのまま読み続けてしまいますが、時々出会う人にどこからきてどこへむかっているか(徒歩で)説明するシーンで、
「あんた頭イカれてるよ!」
て言われると、「そうだよね、この人相当…?」という感じでした。
彼が旅した当時、多国籍軍の介入でタリバンは撤退しながらも、まだ各地で村を焼き払ったりしており、またアルカイダもまだ活発に活動していた時でした。よく無事でしたね、という状況だったことは間違いなく。汗
その後アフガニスタン支援のNPOを立ち上げました。学校や建物の補修や新築、教育や職業訓練などの復興支援をしているその団体は「ターコイズ マウンテン基金」と言い、彼がひとりで立ち上げた後にチャールズ皇太子やカルザイ元大統領がメンバーになったと本には書かれているけど、他のメディアなんかには「チャールズ皇太子が設立」とか書かれてしまっている。 本人はそんなこと気にしないかもしれないけど。ミャンマーやヨルダンでも職業訓練などの活動しているそうです。 団体の今の代表者は彼の奥さん(アフガニスタンで出会ったアメリカ人)だそうです。
2010年には下院議員に選出されています。
2011年のTEDでアフガニスタンへの巨額の支援を批判しています。そしてタリバンはその2011年当時、かなり弱体化しており、冒頭の言葉のようにタリバンへの懸念はない、と述べていました。
しかし10年経ち、各国の援助と軍の駐留も虚しく、米国軍の撤退の発表の後、現在のカブールにはタリバンがいます…
ローリー・スチュワートは深い憂慮と共に多くの国が共にアフガニスタンの人々への支援をしなければいけない、と語っています。
これまで学校・病院の建設、女性の教育や職業訓練などアフガニスタンの復興支援を行ってきただけに、タリバンの復活に非常にショックを受けている様子です。
イギリスの現状から「もうこれ以上の支援は充分!」という声も多いようですが、長年アフガニスタンに寄り添ってきた彼には、そもそもの、遡ってそもそもの争いごとの始めの当事者だった英国の責任を、感じているのだと思います。
先進国の面子もしくは自己満足の巨額の支援がそれに群がる欧州やアメリカの企業の腹を満たし、また政府や警察や軍関係者の不正蓄財の原資となり、却ってアフガニスタンの自立を妨げたことを恥ずかしく思うべきだ、と。
ある意味頭のイカれたところがある、このスコットランドの人、いつか英国の首相になるかも?!しれません…(「是非首相に!」なんてTwitterでは言われたりしている…)
私の中で「気になるその後のスコットランド人」がミュージシャンを中心に何人かいますが、その内のお一人です。
ここまでさんざん中身バラしまくった上に最後にして最大のネタバレになりますが、彼と厳しい旅を一緒に歩いたマスティフ犬のバーブル、パキスタンで注射などを済ませて一足先にイギリスへ帰国した彼を追って飛行機に乗るはずでしたが、残念ながらその前に死んでしまいました。
イスラム教圏では犬は嫌われているので、狼除けとして飼われているだけで時には酷い扱いを受け、生まれてから一度も可愛がられたことなどなかったバーブルが、ローリー・スチュワートと一緒に旅するうちにいつしか自分の方からお腹を撫でて、と仰向けになって催促するまでになっていました。
そのバーブルの到着をイギリスで待っていたのに、飛行機に乗る前日に死んでしまった…バーブルのことを思い出して、ローリー・スチュワートが泣くシーンでこの旅行記は終わります。 それまで淡々と旅の情景、人々の言動、彼の思考が綴られてきたのに、エモーショナルな部分が全く無かったのだ、と最後の最後に気づきます…ラストの泣いているシーンを除いては。
はい、私も泣きました。(しかも結構)
旅行記で泣くとは、思いませんでした…
旅行記で泣いてみたい、と思った方は是非ご一読を。(そんな人いるんかい)
アフガニスタンの人々、各国のNGOや医療支援のスタッフの方が無事に避難できますように…そしてなるべく早く普通の暮らしが彼の地でおくれるようになるよう…いったいいつになるのか全く分からない情勢ですが、いつかそんな日が来ることを願ってやみません。
中東は行ったことが無い国がまだたくさんある地域なので、コロナが収まれば是非行ける国には行きたいですね、現在紛争中のシリアやイエメン、そしていつかはアフガニスタンも。
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