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涼飇

ペンションの軒先に出ると、いくつかの畑と家があってその先には船着場と海がみえる。
畑には美味しそうな野菜や花が見え隠れしていて、家には洗濯物や布団があちこち干されていた。
人っ子一人見当たらず、それでもはっきりとこの街の穏やかに息づかいを感じる。

小さくて、優しくて、美しい街。

天国かな、と本気で思った。
横で彼女も目を細めていて、口元は無意識だろう、笑っている。
僕たちは天草のペンションに来ていた。


友人が教えてくれたこの天草という地は、歴史の教科書で出てくるから名前は知っていた。
でも勧められなかったら来なかっただろう。
こんなに素晴らしい場所だなんて、思いもしなかった。
景色がただただ、美しい。
派手さはないのに心を掴んで離さない。
これが、原風景というものだろうか。


僕たちはペンションに荷物を置くと、イルカを見に行った。
友人によると、野生のイルカが見られる確率は98パーセントだそうだ。
僕たちは期待を胸に船に乗り込む。

ところが、イルカはなかなか現れなかった。
船長さんは、あっちへこっちへ頑張ってくれていたが、一向に姿が見えない。
2パーセントをひいちゃったかな?
僕たちは顔を見合わせた。
船は、これで最後、というポイントに向かっていた。


その時。
「あ、いた!」
他の乗客の声がして、指差す方を見るとイルカが見えた。
そうしてあっという間に船のすぐ横まですごい数のイルカがやってきた。
「わぁ!可愛い!」
彼女が声をあげた。

それからは僕たちはイルカに夢中だった。
イルカは灰色をして艶々だった。
思ったよりも大きくて、船とともに泳いでいく。
こんなに近くで見られるんだ。
まるで夢のようだった。


船を降りてからも、まだ僕たちは現実感が無くて、気持ちがふわふわしていた。
時刻はもう夕方で、間も無く暗くなろうとしている。
「いやー、見られないかと思ったね」
興奮しながら帰り道を歩く。
「でも見られてよかったね」
「ほんと、イルカいっぱいいたなぁ」
「さすが98パーセントだね」

ペンションにたどり着くと、僕たちは再びそこからの景色を見渡した。
夕闇の中にみえる畑や海、船着場は昼間とは違う色をしていた。



そこですうっと涼やかな風が吹くのを感じる。
頰がほんのり冷たい。
「秋の匂いが混ざってるね」
彼女が呟いて、僕の腕をきゅっと掴む。
僕は彼女の手に、そっと手を重ねた。


夏の終わりが、近づいてるのだ。


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#30秒小説
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#涼飇

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持田瀞 Mochida Toro
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