反省
昨年末、サークルの友人と縁を切ることにした。
理由は大したことではない。単純に口論で喧嘩して、わかりあえず、仲が悪くなっただけだ。
なぜか彼を含んだグループで仲が良かったけど、少なくとも、彼とは縁を切る。
(喧嘩といっても暴力的なものではなく、あくまで口論レベル。というか、本当の喧嘩とは論理的に言葉で済ませるものだと思う)
「喧嘩するほど仲が良い」という言葉は、相手に敬意があるからこそ成立するはずである。相手と喧嘩することによって、わかりあえたり、新たな関係になれると確信している場合に限って成立すると思っている。
だから、喧嘩する場合も、相手に敬意を持たなければならない。対立することで感情的になりがちだからこそ、これは常に念頭に置いている。
しかし現実には、自分だけを守る喧嘩をする人があまりにも多すぎる。彼もまた同様。人が頑張ってきたことを蔑み、自分を正当化し、感情のままに自分の思うことを次々と述べていた。おまけに現状を社会や他人などのせいにしていて、いわゆる他責思考で考えている。私がやってきたことを否定するような発言もしていて、正直怒りや呆れを通り越して吐き気がした。たまたま私がプレゼンを終えた日で、疲れた息抜きに参加したのだが、参加したのを心底後悔した。
適当にこっちから謝罪してもうサヨナラにする。向こうも私と会わないほうが気分いいことだろう。
争いを生み出すのは相手のことを考えず、自分の欲だけを考えているため。戦争をしている国々が雄弁に語っている。
(※以上は2020年12月の下書きでした。)
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あけましておめでとうございます。
正直最近はnoteを書いても思考はまとまらないし、以前ほどネット上の誰かに何か伝えたいという思いは特にない。
インスタでリアルな友達(といっても長文好きそうな人)には書いているので、単純に文章を書くことが嫌になったわけではない。
かつてはnoteを書いて、何かを学んで、自分が熱くなるような時が確かにあった。喧嘩ではなく問題意識だと思うけど、相手に向き合う際は相手に対して敬意をもって、接していたと今にして思う。問題意識だからバチバチの対立だけど、敬意があれば新たな学びになる。ボクシングの殴り合いでも、相手をリスペクトすることが大切な理由が分かった気がするよ。今思えば卒論で書きたいことをまとめられた1か月間は、非常に病んでいたとともにアドレナリンが出まくって興奮していた。
最近はnoteを通して熱くなることがなくなっている。卒論を書き終え、プレゼンも終えて、自分が新たなステージに立たなければならない。
今年はどんな年になるだろう。出会いもあれば別れもある。今までと環境が大きく変わる。というか、今から環境を少しずつ変えていこうと考えているんだから、今まで通りではいけないんだ、きっと。
2020年5月、コロナという大きな変化の中で始めたnote。様々なことを書いたり、伝えたいことや学びたいことを必死に伝えてきた。ネット上でも出会いと別れを繰り返してきた。リアルと違ってそこに感傷はまったくない。
もうとうふ納豆のnoteはフェーズ1を終えたんだと思う。一応備忘録として残しておいたこの記事は、今年どんな出会いをもたらすのだろうか。
2022/1/1 とうふ納豆