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八ヶ岳で迎える。3.11。
今年の3月11日は、東日本大震災から12年となる。
皆さんは、あの日あの時刻、どこで過ごされていたのだろう。
ボクは当時、横浜の海岸近くの職場にいた。
3分近く続いた大きな揺れが、何段階にわかれ建物を揺らし、
身動きが取れなかったことを、鮮明に思い出す。
近くある海の防波壁を覗き込むと、いつもよりも海面水位が異常に低く、
ただごとではない状況を、目の当たりにした。
東北で、津波が襲ってくる数10分前の映像を、見たことがある。
高齢者の施設の敷地内に、車いすの高齢者と職員が待機していた。
避難するべきか迷っているような、映像である。
その後に起こることを考えると、胸が苦しくなる。
あの当時、まだ現行の障害児通所支援事業は、制度として存在していない。もし、現行の障害児通所支援事業があったなら、
児童たちは通所時間中に、災害にあっていたことになる。
昨日、ボクらの勤める福祉事業所で避難訓練を行った。
その当時のことを思うと、この避難訓練は、とても重要と感じている。
今回、未就学児童も、就学児童も、しっか避難ができた。
すんなりと、全員が避難が終わるまでに、3分ほどだった。
通所児童たちが成長され、混乱されること避難できたこと。
本当に、スゴイことだと思う。
今日は土曜日である。
12年前のあの日のできごとを、この八ヶ岳で思い出し、
14時46分に黙祷したいと思っている。