家族のカタチ
ここ数年、少なくとも令和の時代に入ってから、「ホームドラマ」と言われる家族の日常を描いた番組を観なくなった。いや、正確に言えば、僕自身が観てないだけで、番組制作はされているのだろう。
では、一体何が「ホームドラマ」なのか。家族の日常を扱ったドラマと言えばよいだろうか。典型的なのは、古い話で恐縮だが、「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」、最近では「渡る世間は鬼ばかり」あたりだろうか。
「寺内貫太郎一家」は、1970年代に放送されており、僕はかすかながら記憶にある。
一家の主である貫太郎が頑固オヤジで、番組の中では毎回ちゃぶ台をひっくり返し、また西城秀樹が演じる息子と喧嘩を始め、それを家族が止める。そんな「お約束事」のような決まりきったストーリーだったと思う。
そこにはハラハラドキドキや、ワクワクする展開もなく、ただ単に「寺内一家」の日常を描いていただけ。そんな印象だった。悪く言えば単調な内容だったかもしれないが、人を騙したり陥れたり殺したりする場面もなく、家族みんなで安心して観れる、まさしく「ホームドラマ」だったのだろう。
その頃は、そのドラマに象徴されるように、食卓を囲みながら家族一緒に夕食を摂る。それがごく一般的な家庭の日常風景だったと思う。やがて社会構造の変化とともに核家族化が進み、両親共働きの家庭が増えた。それに比例するかのように朝食どころか夕食までも子供だけで食事をするような家庭が増えたと聞く。学校から帰ってきたら母親が温かく出迎えてくれる。そういうのが当たり前の時代ではないのだ。
「お茶の間」というと、おじいちゃんおばあちゃんからその孫まで、家族全員が揃って1台のテレビを観る場所というイメージが強い。核家族化が進む現代では両親とその子供が一家全員というところだろうか。テレビ番組内での「お茶の間の皆さん」というフレーズも最近はあまり耳にしなくなった気がする。
現代では3世代同居という家庭は珍しい部類に入るだろうし、シングルマザーやシングルファーザーも珍しくない。離婚自体が後ろめたく感じる時代ではない。
また、結婚に明るい未来を感じない人や経済的事情から、それ自体を諦めている人も多く、生涯独身を貫く男女も増加の一途である。
自治体によっては、パートナーシップ制度を認めているところも出てきている。同性婚は法律でも認められていないが、単なる同居人とは違い、一生を共にする「パートナー」として認定しましょうという制度なのだろう。今は結婚できなくても、そう遠くない将来堂々と戸籍に二人の名前が載せられる日が来るはず。
ひとり親世帯、同性カップル等過去においては目立たなかった世帯が世間に認知されるようになった。家族のカタチもそれぞれ多種多様になってきた。
今では、「ちゃぶ台」も「お茶の間」も「一家団欒」も死語になりつつある。いや、既になっているかもしれない。Z 世代と入れる若者の大半は、この単語を知らないかもしれない。そして、やがては大家族を扱った番組も見られなくなる日がくるだろう。
今後も少子高齢化が進むのは間違いなく、未婚独身世帯や独居老人の世帯も減ることは暫くないだろう。
今後益々家族のカタチが変わっていく。