ウィズコロナを乗り切るための切り札“ふれあいのメソッド”Vol.4
皆さん、こんにちは。ご清覧ありがとうございます、野口花琉実です。
さて、自分磨き趨勢の時代、セルフケアや呼吸法、入浴アロマやハーブティなど、資源を投入して皆様、ピッカピカに自分をブラッシュアップされていらっしゃいます。
それはそれで、とてもステキなことだとわたくしも考えます。問題はその先に何があるか、ということになるでしょう。自分磨きでは到達できない限界を打破するためには、何が必要か。そこでわたくしは、本来に立ち返り人間という存在、その在り方に着目した理由を前回記しました。
本来人間であるためには、人と人との関係の上に成り立たなければ、生存を続けることは不可能です。関係性を語るメソッドはあっても、直接ふれあうことでの関係性の在り方を示す、具体的なメソッドは少なく、肝心要のパートナーとのふれあいを示したメソッドは皆無に等しい。
それでは関係性は未分化なまま、と言っても過言ではありません。なぜなら、言葉で理解するより、身体で理解した方が、その影響力は速く、強く浸透するからです。それが即効性であり即応性という訳です。
個は充実しているけれど、身近な関係性は充実していない。そんな悲劇が我々の身近には沢山存在しています。本来、おぎないあい、生しあい、活かしあい、発展性のある関係性は1+1を10にも20にも強化する、そこが欠落してしまっている。だから個を対象とした講座やセミナーだけではもう、一段高い幸せはつかめないと私は考えています。個だけが潤っても肝心なところは乾いている。肝心なところを潤わせる方法を知らない。だから、財布の底をはたきつづける。これこそ商業主義の餌食そのものであり、負の連鎖と言えましょう。
むしろ最近は、一人が講座やセミナーで知識や方法を蓄えると、身近な者が拒否反応を示すほどに、音信不通となり機能不全に陥った関係性が多すぎる。その根本を充足し潤わせ、無駄な出費はしなくてすむように、私は花琉実メソッドふれあいを創りました。本来触れ合う対象は、あなたの夫でありあなたの妻であり、あなたの子どもであり、あなたの親です。その方法さえ忘れてしまった現実をまずは変え、ふれあいの効果を取り戻す。そのために、花琉実メソッドふれあいはあるのです。
日本人には欧米人のように人前で人目をはばからず、或いは多くの人とスキンシップを取る習慣はありません。日本人における古来から伝承されたふれあいは家庭的で繊細な、故に即応性のある“手当”が基でありました。そこに、薬草や温泉を組み合わせる。それは一目をはばかって心身が落ち着ける、リラックした環境をつくりそこでお互いをふれあい解放する、それが日本の風土に適応した文化としてのふれあいの、あるべき姿なのです。
さて、核家族化によって家族という形態から社会性が失われてくるに従い、その2世代、3世代の間では、新たな問題が顕在化しました。それは欧米が先んじて社会問題として抱えた自家中毒症状であり、ドメスティック・バイオレンスやマウンティングが代表的なものでしょう。社会性の喪失です。
言葉に乗せたバトンである智慧と、物理的な接触による手当という手技という心と身体のふれあいアプローチで、まずは家族を通し自分の痛みを実感し、家族の痛みを実感し、ひいては他者の痛みを自分の痛みのように想像できる…そんな土壌は痛みを分かち合うおもうやりといった繊細な感性を育くみ、ひいては困ったときはお互い様という崇高な文化を構築しました。だが残念ながらこの文化は特に半世紀の間に、急速に失われました。
50年前までは、孫子に対する親の役割と祖父母の役割はことなりました。親が子をふれあう姿と、祖父母のそれも異なりました。それぞれに役割があったわけです。当然に叱り方も異なり、あやし方も異なりました。
今、核家族化は高齢者から、高齢者が蓄えた智慧を伝承する機会をも奪いました。現に団塊の世代と呼ばれる方々から、お孫さんに対する術を知りたいという話が、私のところには寄せられます。また、お孫さん世代に自分が教わってきた伝承を伝えたいという想いも伺います。だから、花琉実メソッドふれあいには、孫に伝承するふれあいも、用意しています。またその逆は、さらに有効です。特に、認知症になった祖父母が老人ホームにいる、時々見舞いにいくけれど、なにかできないことはないかといった場合にも、応用できるのがふれあいの手技でしょう。ハンドマッサージは、痴呆性高齢者に対しても、劇的な効果を及ぼすことが多々あります。つづきます。
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