私たちの「生」と「死」を分かつもの

※「ハニカムブログ 」2018年1月29日記事より転載

ここしばらくアリゾナ(と、おまけでハワイ)へ行っていました。

というと、なんだかラグジュアリーな感じですが。
実際やっていたことは筋筋膜の解剖実習。

5日間ひたすらアリゾナのラボにこもり、メスを握りしめて人体の内側を旅していました。

というと、今度は怖がらせてしまうでしょうか(汗)

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人の身体に触れる、セラピストという仕事。

今までは本で学んだことをベースに、身体の内側へのイマジネーションを膨らませながらセッションをしていました。

実際に内側を見てみて、「あぁーやっぱりそうだよね!」という納得感と、「ふぉぉー!まさかそうなっていたとは!」という刮目と。

その臨場感が私の中にインストールされ、身体へのアプローチがより具体的になっているのを感じます。

ベーシックは変わらないんだけど、ディテールに対する精度が高まったというか。


僧帽筋や広背筋など思っていたよりずっと薄い筋肉もあれば、腸腰筋など身体の内側でとんでもない「主」な存在感を放つ筋肉もある。

身体の最深部にある脊柱はまさに「柱」で、「この軸がある限り私たちは大丈夫だ」と思わせてくれる。そのドッシリ感に惚れ惚れ。

骨は触れているだけで、グラウンディングする感覚。

各臓器の強さと繊細さの同居には驚くばかりで、よくぞ今までしっかり働いていてくれた...と、しみじみ感動する。

アリゾナ③-thumb-540xauto-266082

ご献体はユタ大学からやって来たもので、生前にその遺志をサインした人たち。

そのせいか、ご献体はもちろん亡くなった方なのだけど、実習中はずっと、その「志」を生き生きと感じていた。

そして、何が私たちの「生」と「死」を分けているものだろうか、などと考えてみたくなる。

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生きているというのは、心臓が動いているのはもちろんだけれど、あらゆる「神経系」がアクティブな状態。

いわゆる「五感」はすべて各感覚器からの神経刺激の入力とも言える。

だとしたら、「生き生き」と生きるためには、なるべくうれしい刺激を神経系に与えたい。


美しいものを見て。

おいしいものを食べて。

良い音色に耳をすませ。

芳しい香りを嗅ぎ。

心地よいものに触れる。


そして、できることなら生きているうちに、自分がいなくなった世界への意志を示しておきたい。

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スクラブ(医療衣)を着たままラボの前でランチタイム。

「解剖ほどマインドフルネスになれる瞬間を私は人生で経験していない!」

というほど実習中はご献体に超集中していますが、そのほかはリラックスしてのどかなムード。

しかしながら、ほんとうに貴重な経験をさせていただきました。

ハワイ①-thumb-540xauto-266086


12月の上旬、友人の帝王切開に立ちあわせてもらいました。

その後の解剖実習、そして実は2月にエジプトへの旅が決まっている。

目の前で起こる、生の瞬間。

そして、解剖という土へと還るのをお手伝いする作業。

実習が進むごとに組織が取り去られ、どんどん軽くなる身体。

人は、水の中にプカプカ浮かんでいたところから重力のある世界に放り出され、

最期の時は重力から解き放たれるかのようにいなくなる。

そして、ピラミッドは死者(王)の魂を宇宙の一部にするための装置、と考えられている。


一体なぜこんなできすぎた流れになっているのかわかりませんが(笑)

2018年、のっけから濃いなぁ。

■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com

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