名古屋城にはエレベーターをつけるべきか
名古屋城の天守の復元をめぐり、残念な報道がありました。
名古屋城の天守は戦災で焼失しましたが、木造で往時の姿を忠実に再現する計画があります。その天守にエレベーターをつけるべきか否かで論争が起きています。
市民が発した残念な言葉
EV不要の立場から、市民の2人の男性が攻撃的な発言を行ったとのことです。
特定の地域で不祥事などが起きた時、「これだから○○の人間は」などと罵倒する人がいます。地域差別につながる言葉なのでこういったことは避けたいです。
しかし、この討論会では、差別的な発言の後に「会場から拍手が起きた」とあります。また、河村たかし市長は差別発言への見解を問われ「よう聞こえなかった」とはぐらかし、市の担当者も差別発言を制止しませんでした。
「不見識なのは差別発言した二人だけで、他の名古屋市民は良識があるから」とかばうのは、現状では難しいです。
エレベーターはつけていい
名古屋城は焼失前の図面や写真が残っており、木造復元は可能です。個人的な欲求で言うなら、忠実に再現された姿を見てみたいです。しかし、名古屋城は公共の場でもあり、バリアフリー化の義務を負います。
そもそも、復元をどれだけ頑張ったところで、名古屋城は「復元天守」の域を出ません。歴史的・文化財的な観点でいうなら、全国に12しかない現存天守の価値を越えることは絶対にできません。
EV不要論者は、「エレベーターも電気もない時代」のものを完全に再現したいようです。しかし、当時は避雷針もスプリンクラーもありません。復元された名古屋城天守に、これらの設備もつけないということはありえないでしょう。
そもそも、当時は人権や平等思想などもないので、庶民は自由に城に入れません。往時の姿にこだわるなら、ついでにその点も再現してはいかがでしょうか。
本当に「木造復元」は必要か
図面をもとにして当時の工法を利用するなら、模型でもいいと思います。実際のところ、建物に入ったところで見えない部分も多いですし、当時の工法のすごさは素人には伝わりにくいのではないでしょうか。むしろ、実寸大よりも模型を用いた方が、昔の工法のすごさを伝えやすいのではないでしょうか。模型なら断面図も見やすいです。
むろん、技術の継承という意味もありますし、木造による忠実な再現は学術的な意義が大きいと思います。
しかし、冒頭の発言を振り返ってみましょう。
バリアフリー化を求める障碍者の要望は、100%通すことは困難にせよ、当然の権利です。それに対し、「お前が我慢せえよ」と暴言を吐き、障碍者に対する差別用語を発し、それに対して拍手が起きる。こういった態度に、知性や品性を感じ取ることはできません。
完全復元された天守は、学術的には大きな価値を持つでしょうが、こういった言動を平気で行う人々には釣り合わないですし、与えなくていいと思います。