「アイデンティティ」の信頼性~(G)-IDLEとセルフラブ〜
はじめに
(G)-IDLEの躍進が止まらない。昨年「TOMBOY」「Nxde」を立て続けに大ヒットを飛ばし、大衆の心を掴んだ「テセアイドル」に上り詰めた。
(G)-IDLEは2018年デビューのCUBE所属5人組ガールズグループだ。韓国出身のソヨン、ミヨン、タイ出身のミンニ、中国出身のウギ、台湾出身のシュファ5名で構成されている。
(G)-IDLEの特徴はなんと言ってもリーダーソヨンを中心に自分達で曲を作り、セルフプロデュースしている点だ。彼女たちのアルバム名は全て"I"で始まっており音楽を通して自分達を表現していくという点に重きを置いている。
[I love]のアルバムのカムバックショーケースでの、「(G)-IDLEが音楽をする理由は自分達が伝えたいことを伝えられたらと思っていて、したい音楽をしようという目標がある」というウギの一言は今の(G)-IDLEを、最も簡潔で核心をついていると考えている。
2022年、ガールグループ天下と言われるほど様々なガールグループが活躍した一年だった。その中で(G)-IDLEが「テセアイドル」としてどのような点が支持されて現在の地位を確立したのか。それについて(1)(G)-IDLEのフィルモグラフィー(下の表を参照する)。(2)現在の女性アイドルグループの流行という視点に絞って分析してみようと思う。
(1)(G)-IDLEのフィルモグラフィー
(G)-IDLEのフィルモグラフィーを語っていく上で便宜上3つの時期に分けて考える。
①Latata〜Uh-Ohまで(鮮烈なデビューからQueendom出演前まで)
②LION~HWAA(火花)まで(Queendom出演後からスジン脱退まで)
③I NEVER DIE〜I LOVE(1年3ヶ月後のカムバック以降)
①Latata〜Uh-Ohまで(鮮烈なデビューからQueendom出演前まで)
この時期の間にカムバックし音楽活動した曲は4つ。「LATATA」「HANN」「Senorita」「Uh-Oh」の4曲だ。
2018年に「LATATA」で鮮烈なデビューを果たし、デビュー20日後に音楽番組で1位に輝いた。SM、JYP等の大手事務所からデビューした場合、もしくはオーディション番組等でデビュー後、もう一度再デビューする場合だとさほど珍しい成績ではない。 しかしCUBEという大手というには規模が小さい。メンバーのソヨンがオーディション番組で名前が知られていたぐらいだった。しかしタイトル曲「LATATA」はソヨンが直接作曲、作詞した点、そして何より曲のクオリティが高く(音源成績も新人としては驚異的だった)鮮烈なデビューとなった。
その後「HANN」「Senorita」と全てソヨンの自作曲で活動を続けていく。
この「LATATA」、「HANN」、「Senorita」の3曲の特徴は既存の「異性愛」を前提とした恋愛観が強いという点だ。そのため曲を通して自分達の言葉を伝える、何かメッセージ性を持たせるという側面は薄かった。
例えば、「LATATA」では 冒頭部から
너(あなた)が登場するなど相手がいることが想起される歌詞だ。
「HANN」も同様に
너(あなた)が用いられており、別れについて 書かれている。
Senorita に限っては그대여(あなた) という歌詞から始まり、二人称の存在感が強い。
そして「Uh-Oh」でこの「異性愛」を前提とした恋愛観から初めて抜け出す。曲を以下のように紹介している。
しかし、成績だけで見ると鮮烈なデビューの勢いがあったものの「LATATA」の成績から上昇することができない状態だった。
②LION~HWAA(火花)まで(Queendom出演後からスジン脱退まで)
(G)-IDLEが曲に自分達のことを「メッセージ」を明確に加え始めたのは「Queendom」で披露した「LION」からだと著者は考える。
「Queendom」は2019年Mnetで放送されたサバイバル番組だ。女性グループ6組が参加し、同じ時刻にシングルを発表し優勝者が単独カムバックショーが行える。
「Queendom」は自分達を表現するためのステージを構成し、その舞台の出来栄えを競うプログラムだった。中央日報の「批判を受けながら始まったQueendom,意外にも支持されている理由は」(비난 받으며 시작한 ‘퀸덤’…뜻밖에 지지 받는 이유는)ではQueendomの人気の理由を、ガールグループがきちんとしたステージを行う機会が少ないためと分析している。今まではガールズグループが準備しステージを披露する機会が多くなかったが、Queendomがガールズグループにステージをする機会を与えた点が人気を集めたということだ。
そのためQueendomではステージの準備過程が番組の中心のコンテンツになった。それにより(G)-IDLEが自分達で舞台を作っていく姿、ソヨンの多彩なアイデアにスポットが当たった。そして実際に素晴らしい舞台を披露し(G)-IDLEに対する注目度が高まった。
QueendomのチョウリPDはソヨンのプロデュース能力に対して賞賛を送っている。
ファイナルステージで見せた「LION」は”サバイバル番組で優勝する、1位になる→Queenになる”という自分たちの境遇とメッセージ、心構えを曲として表現して高評価を得た。この曲が初めて(G)-IDLEが自分達の伝えたいことを曲にして伝える、つまり明確に曲の主語が"I"になった曲がこの「LION」だったと考える。最終的な順位は3位になったものの、このステージの音源成績はメロン週間チャート最高順位30位で他のグループと比べても一番良い成績だった。
Queendomの影響の大きさは音盤成績の数字にも現れた。Queendomの後に発売されたアルバム[I trust](タイトル曲:「Oh my god」)の音盤初動販売量だ。その前の[I made](タイトル曲:「Senorita」)の20,3**枚から11,2**枚と5倍になった。音盤の販売量は主にファンの多さを表すとされており、Queendomによって(G)-IDLEのファンになったという人が多かったことを物語る。
このように(G)-IDLEはQueendom以後自分達の言葉を曲で表現していくという方向性が強くなっていく。このように①の時期は「異性愛」を前提とした恋愛観の曲が多かったのに対し、②の時期はその恋愛観から抜け出し自分の意志を表明する曲が増える。
この①から②の特徴の変化を表すのが「HANN[韓国語表記:한(-)]」→「HWAA[韓国語表記:화(火花)]」の2曲の一連の流れだと考える。この2作は「HWAA」のアルバム[I burn]の収録曲「HANN(Alone in winter)」を間に挟み、ストーリーが連携している。
「HANN」 はまだ「異性愛」を前提とした恋愛観を踏んでおり恋愛について明確な描写があるのに対し「HWAA」はそこで受けた傷を自身で燃やし花を咲かせるという内容になっている。恋人が去ったことに焦点を当てた「HANN」から、「HWAA」は受けた傷を燃やし花を咲かせていく自身の姿が中心の主題になる。
連携がある2つの作品、この主題の変化はこの期間に起きた(G)-IDLEの変化を如実に現していると筆者は考える。
③I NEVER DIE〜I LOVE(1年3ヶ月後のカムバック以降)
メンバースジンの脱退により、今までコンスタントに活動し続けてきた(G)-IDLEは長い空白期に入る。長い空白期間を終え2022年3月に初の正規アルバム『I NEVER DIE』を発売した。
『I NEVER DIE 』というアルバムのタイトルに表されるように、このリリースは復活と呼ばれるに等しかった。既存の(G)-IDLEイメージがもう既に定着しているなか、新しいイメージを打ち出さなければいけない。かつ今回のアルバムが今後の(G)-IDLEのその後を左右する、生きるか死ぬかの瀬戸際だったと言っても良い。
(G)-IDLEがとった方法は、よりアイデンティティーを先鋭化することだった。つまり今まで「I」という主語として、そこに自分たちの生き様やメッセージを入れていた濃度を一気に濃縮したのだ。
特に注目したのは"It's neither man nor woman/(Just me I-DLE)”という歌詞だ。
アルバム『I NEVER DIE』は(G)-IDLEの女性(여자)を表すGの文字が消える仕掛けがされており、表記も()-IDLEとされている。
それだけでなく本人が(G)-IDLEの(G)を取ろうと発言している。(0:20~から)
以上のように自分達のストーリーを直接歌詞に含ませている。
今まではライオンに自分達の姿を仮託して描いた「LION」、冬の寒さと火の温度の比喩を用いて自ら乗り越える意志を表現した「HWAA」のようにメタファーを用いて(G)-IDLEの”I” という自己主張をしていた。しかし「TOMBOY」 を境に"直接的に"意見を主張し始めた。
そしてこの「TOMBOY」は大衆の心を掴み大ヒットを記録した。国内チャートを席巻し、最終的に韓国最大ストリーミングサイトMelonで年間2位を獲得した。
そして「Nxde」に関してはその傾向がより確かになっていく。TOMBOYが「世の中全ての偏見に対して向き合う」と紹介文にあるように偏見が特定のものでなかっった。一方「Nxde」は「自身の体に対する」偏見を対象にしており、より範囲が狭い。
2014年発売Girls’s dayの「Something」に代表されるようなセクシーコンセプトが流行るなど女性アイドルの身体性は性的に消費されることから逃がれることが難しいのが現状だ。それに対して直接「변태는 너야(変態はお前だ)」 という歌詞を歌い身体の性的消費に対して一発かました形になる。
さて、ここで疑問が浮かぶのが何故ここで直接的な表現が致命傷にならなかったかだ。
直接的なメッセージを「アイドル」の立場で表現をするということは危険を伴う。特に”I'm not a doll(TOMBOY)”, ”変態なのはお前だ(Nxde)"といった歌詞はフェミニズムと親和性が高い。しかし女性アイドルがフェミニズムの的な発言や行動をすると炎上するということが頻発していた。2018年には当時Apinkのメンバーであり女優としても活動するソン・ナウンがSNSに挙げた”GIRLS CAN DO ANYTHING”と書かれたスマホケースが映った写真が論争になり該当の写真を削除したことがあった。
以上のようにアイドルが、メッセージを発信することは強烈なアイデンティを獲得、他グループと差別化する要素になるが、一方で批判の対象なりやすく大衆性を失ってしまう可能性がある。特に女性アイドルは男性アイドルに比べて自己主張する機会が許容されていない状態で、この2曲の直接的な主張(特にNxde)がされているのは相当破壊的であるといえる。その2曲が何故大衆に受け入れられたのか、その結論を出すには現在の女性アイドルグループの流行について考察する必要がある。
(2)現在の女性アイドルグループの流行
この方向が大衆が歓喜し受け入れられたことに女性アイドルが今打ち出していることに関して考えていかなければならない。女性アイドル、特に第4世代(韓国のウィキペディア、ナムウィキによれば第4世代とは2018年以降デビューの女性アイドルとしている)のテーマの多様性、メッセージ性については媒体で提起がされている。特にその中でキーワードになっているのが「セルフラブ」だ。自分を愛し、堂々とした主体的な女性像を前面に打ち出している。
①第四世代のキーワード「セルフラブ」
例えばizeの記事では以下のように書かれている。
同性が憧れるほどかっこいい「ガールクラッシュ」も流行し、堂々とした振る舞い、自身あふれる姿を披露するガールズグループは第4世代以前にも存在した。その代表格2016年BLACKPINKだ。しかし
だがデビュー曲「BOOMBAYA」では
”굳이 애써 노력 안 해도 모든 남자들은 코피가 팡팡팡 ”
(別に努力していなくても男たちは鼻血がPANG PANG PANG)
という歌詞のように既存の「異性愛」を基盤とした恋愛観からは逃れていない状態だった。
そして第4世代の特徴について以下のように述べている。
つまり「ガールクラッシュ」を超えて今は「セルフラブ」がガールズグループの流れに入り主流として位置を確立しているということだ。
このような「セルフラブ」ではないコンセプトの流行にはファン層の変化が挙げられる。ハンギョレ21の「私を愛する極限の能力者たち」(나를 사랑한 ,극한의 능력자들)という記事では、「セルフラブ」のコンセプトの台頭にはファン層の変化があると上げている。
今までK-POP業界はファンダムが引っ張ってきた。利益を産むアルバムの販売量、コンサート等はファンダムが引っ張ってきた。そしてそのファンダムを集めるのは今までは男性グループだった。しかし2019年バーニングサン事件が決定的となり、ボーイグループに大きく失望した女性ファンが大挙にファンを辞め、その代わりガールズグループを追うようになった。そしてそれが可能だったのがガールズグループが提示する女性性の幅が広く拡大したからだ。K-POPの世界的人気によりグルーバルファンにアピールするため、セクシー、清純、ガールクラッシュという短期的な観点のコンセプトではない、複雑な世界観を構築して突破したという。
(以上、한계레21,"나를 사랑한,극한 능력자들https://h21.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/53323.htmlを要約。2023/02/09最終閲覧)
以前だったらフェミニズムに関する発言をするだけで炎上する状態だったが、「TOMBOY」「Nxde」等のフェミニズム的文脈で解釈できる2曲(特にNxde)が大衆に受け入れられたのもこの女性ファンがファンダムを中心に形成するようになったことが大きく影響していると筆者は考える。
②ITZYの登場、そしてその後の流れ
ではこの「セルフラブ」のコンセプトがいつ頃から生まれたのか。
3.5世代(2018,2019年ぐらい)から「私たちは私たち」と主語が自分(たち)で簡潔する自己肯定感、自身こそが一番といったセルフラブに通ずるを得ることができる。
最初に強烈で明確だったのがITZYの登場だった(2019年2月12日デビュー)。
「DALLA DALLA」では
と私はあなたとは違う、“I love myself“と高らかに宣言し、鮮烈なデビューを果たし、ガールズグループ最短で音楽番組1位を獲得した(当時)。当時韓国メディアではITZYのデビュー曲を以下のように分析している。
その後第四世代に入りIVE
「ELEVEN」,「LOVE DIVE」「After Like」の3曲は”ナルシズム3部作"と呼ばれている。「ELEVEN」では”自分に10点満点のところを11点つけてあげ、「LOVE DIVE」は神話の中のナルキッソスのように湖に映る自分に惚れ飛び込み、「After Like」では自分に対して完全にハマった姿が描かれる。
(以上、한계레21,"나를 사랑한,극한 능력자https://h21.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/53323.htmlを要約。2023/02/09最終閲覧)
そしてLE SELLAFIMも主題は”自分自身”だ。
「FEALESS」,「ANTIFRAGILE」の2曲の歌詞は常に”自分”に矛先が向いている。つまり"セルフラブ"(自分を愛する、拡大して自己肯定感)の文脈を読み取ることができる。そこに第3世代には当たり前にいた「異性愛」を前提した恋愛には捉われない。
③「セルフラブ」というコンセプトの限界
しかし筆者は「自己肯定感」「自分は自分」という「コンセプト」は実際に歌手が存在するK-POPの女性アイドル界とは相反する存在であると考える。
IVEを例にとるならばメンバーの年齢がまず若い。最年少メンバーであるイソはデビュー当時14歳(2007年生まれ)、同じメンバーであるウォニョン・ユジンはIZONEでデビューした当時は同じく14歳、15歳と中学生である。そのため若さを消費する構造になっている。またその若さが目を引いており注目度を高めている要因の一つだ。
IVEが出演しているバラエティ動画のサムネイルにもイソの顔の近くに「중3」(中三)という文字が付けられている。
しかし、そのような若い年齢でデビューすることは自我や自分の意見が定まっていない状態で大衆の目に晒されることであり1人の責任能力がある大人として意志表示をすることはよりはるかに難しい。LE SELLAFIM もコンセプトと本人のイメージが一致しない部分がある。年齢も一番下のウンチェは2006年生まれ、そして特にデビュー曲であった「FEARLESS」 の一連のプロモーションに対する論争、そしてデビュー前に注目したドキュメンタリーでの事務所から強い管理を受けている姿を公開するなど自己愛、自己決定権がある部分とは乖離する。
(ただ、LE SELLAFIM,IVE等第四世代はまだデビューして間もない。今後の展開を注視する必要がある)
今、この課題に一番ぶち当たっているのが、ITZYではないだろうか。ITZYは「DALLA DALLA」 で鮮烈なデビューを果たし、その後「ICY」, 「WANNA BE」で自分の生き方を堂々と生き、周りの声を気にせずに歩くという強烈なコンセプト、そしてそれを裏付ける曲と彼女たちの実力によって一気にテセアイドルの立場を確立した。しかし大衆との接触時間が長くなればなるほど彼女たちの曲のコンセプトと実際の彼女の姿に乖離があることが表出してくる。メンバーのチェヨンはコンセプトにおける自分と本来の自分達の乖離によって苦しんでいるとYouTubeの動画で告白した。
ITZYが所属するJYPの代表J.Y.Parkの言う「良い歌手である前に正しい人であれ」という言葉が象徴するように、誠実であり謙虚な人としての姿が求められる。その例としてタバコ、お酒、悪口が「悪い人」の例として彼は挙げている。しかし「良い人」、「謙虚な人」であることを求めることは、「大人たちの意見をよく聞いて従順でいること」を求めることと類似している。
練習生期間を通して徹底された管理・教育に影響された人格、いわゆる”優等生タイプ”と”他の人たちの視線を気にしない”彼女の打ち出すコンセプトが背反する。そして「コンセプト」として浮いてしまう可能性がある。その結果消費され、飽きを呼ぶ。このままのコンセプトを続けても飽きを催し、だからといって最初のインパクトは大きく方向転換するにもできないという問題にぶち当たっているのが現在のITZYであると考える。ゆえにこの先ITZYの動向を注意深く観察したい。
以上のことをまとめると自己愛(セルフラブ)を「コンセプト」として強烈に打ち出すことで大衆の人気を得る一方で、その「コンセプト」のみがイメージとして先行してしまう危険性があり、その中にいるメンバーがそのコンセプトを消化するために努力し本来の自分を消そうとする行動に繋がる可能性がある。特に女性グループのアイドルが求められる姿はコンセプトでは「自信ある堂々とした姿」「他人の視線を気にせずに強く進む姿」を指向する。
しかし”女性アイドル”である以上現段階では常に管理を必要とする細い体型が追求され、常に自分の感情を抑え謙遜が求められる。そのためダブルスタンダードが要求される。その結果実体とコンセプトの間に差が生まれてしまう。
(3)(G)-IDLEの「アイデンティティ」と「コンセプト」
しかし、その中で(G)-IDLEが持っている一番の強さは「セルフラブ」「自己肯定感」は「コンセプト」ではなく「アイデンティティ」に近い点だと筆者は考える。自分達で曲を作り、自分達でアルバムを作り上げていく。その歩み、彼女たちのアイデンティティを見て大衆が今の社会が”セルフラブ”と解釈しているだけにすぎない。
その理由を2点あげる。
①音楽的なアイデンティティー自作アイドルとしてー
1点目は冒頭でも挙げた通りメンバー自身が作曲・作詞をしているということだ。デビュー曲「LATATA」から最新曲「Nxde」までリーダーソヨンが積極的に参加しているだけでなく1stミニアルバム[I am]以外は収録曲まで全てメンバーが作詞・作曲を手がけている曲だという点も注目すべき点だ。またもう1点デビューから貫いていることがある。それはアルバムのタイトルが全て"I"から始まることだ。そしてそれぞれアルバム名に込められた曲は"I"=自分達から起点にして始まる思いや考えが込められている。
またソヨンが語った曲作りのインスピレーションは「メンバー」または「自分自身」と再三言及している。このような背景からも最新ミニアルバム「I Love」のショーケースでメンバーのウギが言った「(G)-IDLEが音楽をする理由は自分達が伝えたいことを伝えられたらと思っていて、したい音楽をしようという目標がある」という言葉は今回の「I Love」から突然出てきた言葉ではなく、デビュー曲から作曲・作詞してきた歴史が証明する(G)-IDLEのアイデンティティーと言えるだろう。
②普段の言動、行動から
2点目はメンバーの普段の態度、言動だ。特に「他の人の視線を気にせず自分の信念に基づいて行動する」ここではリーダーソヨンとシュファを代表例に上げよう。ソヨンは作曲、作詞をしていく課程やインタビューから堂々とした態度や言動を見せているため全てあげるのは難しいがデビュー曲LATATAのエピソードをいくつかあげる。ソヨンがLATATAを作った理由として「事務所が(G)-IDLEに対してあまり関心がなかった、注目されていなかったため自分達をよく知らないまま作られた曲が多かった。なので自分で作った」と挙げたり、(G)-IDELのチーム名の意味が気に入らなかったソヨンは自分で意味とロゴを提案した。最近では「Nxde」というタイトルで曲を出すといった時事務所が 反対したことに対して逆にこの曲をタイトル曲にしようと決断したと発言している。
そして注目すべきなのが「シュファ」だ。シュファは自分が髪の毛を染めなかったり、化粧をしないことに対して「私は自然なものが好きで、そういう(自然な)私の姿が好きです。他の人からは少し十分ではないかもしれないけれど私は私自身が大切だと考えています。それが私の考える美しさです。」とインスタグラムで表明をした。
また最近では中国で起きた女性集団暴行事件についても直接怒りのコメントを残した。その時果敢に自身の意見を表明するシュファに対して心配するファンに対してシュファは「心配してくれてありがたいが、外に出る姿として偶像にはなりたくない。私は全ての人を喜ばせる必要はなく、ただ正直に生きたい。人々に誠実で不公平に対して意見を言えるそんな人」と返答した。
今回挙げたエピソードのなかで特に注目したいのがソヨンもシュファもデビュー当初の時から自分の意見を表明してきたと言うことだ。デビュー当初は「新人」として発言権も少ない時期であるのにも関わらず「他の人の視線を気にせず自分の信念に基づいて行動する」を貫いてきたからこそ、彼女たちのアイデンティティーが大衆の信頼性を得ていると筆者は考える。
③アイデンティティとコンセプトの関係
このように彼女たちが音楽活動以外の場所での言動や行動が彼女たちの音楽、コンセプトに厚みと説得力をもたらしている例がアルバム[I love]、タイトル曲「Nxde」だと筆者は考える。
「Nxde」はヌードという猥褻だと思われている言葉と思われているが、「飾らない本来の姿」と解釈しそのように猥褻的に捉える偏見をなくす契機を作るというメッセージが込められている。そして「私ではない姿で愛を受けるのならば私の姿で嫌われる」というメッセージがアルバム全体で込められている。 上記に記述したメンバーシュファの「自然な自分の姿が好き」「外に出る姿として偶像になりたくない。(中略)ただ正直に生きたい」といった彼女の過去の発言と一致するメッセージであるため、曲に対してより厚みがあると筆者は考える。
このメッセージが彼女たちの過去の姿と連携している点を考慮し「アイデンティティ」とするならば、Nxdeのコンセプトはなにか?それは「マリリンモンロー」だ。マリリンモンローというコンセプトを通じて彼女たちのメッセージ、アイデンティティをより効果的に大衆に伝えることに成功している。
以上のようにNxdeの例をとっても彼女たちにとってセルフラブ、自己愛はコンセプトではなく、アイデンティティーであると筆者は考える。
よって彼女たちのセルフラブの形は多角的であり幅が広い。「LION」では自分たちが女王であるとし堂々と歩んでいく姿も、「HWAA」で他人が残した傷を燃やし咲かしていこうとする姿も、「TOMBOY」で偏見に立ち向かい周りに一撃していく姿も全てセルフラブ、自分を信じる、愛するというセルフラブとして読み取れることができる。
まとめ
もちろん(G)-IDLEもK-POPアイドルグループとしての姿から逃れられているわけではない。しかし 自分達で作曲作詞をして音楽活動をしていることが基盤になるため「自分達の伝えたいことを伝えていく」という姿勢が形成されている。「コンセプト」ではなく「基本姿勢」である。それによって自分達の変化がそのままグループの変化になる。そしてその変化こそがまたアイデンティティとして積まれていく。
一辺倒に同じコンセプトならば飽きがくる、けれども変化することでその歌手に対するアイデンティティが失われる、というジレンマの突破口になるのだろうと考える。そして(G)-IDLEは様々なコンセプトを試みてきたことの積み重ね、年月の積み重ねによってアイデンティティがより確立してきていると考えている。ということはこの先年を重ね、キャリアを重ねていくことでそれがより強力な「強み」として作用する構造が作られていることではないだろうか。女性アイドルが特に「若さ」に価値観が置かれ、そしてその消費されるという今までの定石をまた新たな形で、(G)-IDLEのやり方で変えていける可能性があると筆者は考える。
<参考資料>