![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/112079882/rectangle_large_type_2_13ec1ff474ccd368143d33cf9163f2a5.jpeg?width=1200)
UNDER TSUNDOKU ー読まない読書会レポ1ヶ月目-
UNDER TSUNDOKUは、本屋等で出会った「ちょっと気になる本」を紹介する読書会です。詳しくはこちら(https://note.com/touasuabab/n/nd9f8076db86f)
筆者(妹)と姉2人で大体月末に開催します。
筆者には姉が2人おり大体この姉たちが私の突然の思いつきの被害者です。今回は一番上の姉が見事当選しUNDER TSUNDOKUに参加をしてくれました。
せっかく始めたからには、続けたいし何か形として残したいという思いが生まれこのNoteで毎月文章を残すことになりました。
妹:高田裕美『奇跡のフォント』
![](https://assets.st-note.com/img/1690703696047-kNtCE8B1oo.jpg?width=1200)
出会った場所:蔦屋書店梅田
興味を持った要素:UDデジタルというフォント
UDデジタルフォントとは読字障害(ディスレクシア)を持つ人でも読みやすい書体です。ディスレクシアとは文字を素早く、正しく、疲れずに読むことに困難がある学習障害のひとつで、日本語話者の中で5%から8%ほどいるとされています。またディスレクシアは知能レベルや勉強不足が原因ではなく、文字を介さない会話をするのに問題はないという特徴があります。しかし、往々にして知識不足、努力不足と誤解されてしまう、もしくは文字を読むことにつまづいてしまい自信を失って勉強に対して挫折感を味わうケースが多くなりがちです。
実を言うと私もディスレクシアなのではないかと思ったことがあります。
そう思っていた理由は長い文章の本を読むのが苦手だったからです。本という存在は好きなのに読書が出来ない自分に対してコンプレックスがありました。
そんな時UDデジタルフォントに出会い、読んだ時にすごく読みやすかったため「もしかして私はディスレクシアだったのか?」と思ったわけです。
特に日常生活にも、勉強にもほとんど影響がなかったのでディスレクシアとまではいかないかもしれませんが、明らかに今まで見ていたフォントより判別がしやすくて、フォントひとつ変わるだけでこんなにストレスが減るのかと感動しました。
自分が出来ない、〇〇しにくいと思っていたことも実は環境のせいということが多い。しかし、それが環境のせいではなく自分の能力のせい、自分が出来ないせいと思われることが多くその人が必要以上に萎縮してしまう状態になること。
その状態を「違う、環境のせいなんだよ」と思わせてくれる、もしくはそういう状態にさせてくれる技術に惹かれる部分がある。このフォントは、そういうフォントのうちのひとつです。
姉:水村美苗『日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で』
![](https://assets.st-note.com/img/1690703808560-jva6GJGdwi.jpg?width=1200)
最近、アメリカ、アイオワ大学主催の、IWP(International Writing Program)に参加された方がその経験についてつづっている文章を読んでいます。
IWPはアイオワ大学のプログラムです。世界中から作家や詩人が集まって3ヶ月近く一緒に滞在し、朗読のワークショップ、パネルディスカッション、高校でのレクチャー、街の本屋での読書会、演劇やダンスとのコラボレーションなど様々なイベントを通して交流を行います。
1967年に始まって以来50年以上もの歴史があり、その間日本人も数多く参加しています。参加した後の課題や執筆依頼は特にないのですが、このプログラムでの経験をもとに創作している方も結構いて、滝口悠生さんの著書『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』(NUMABOOKS)はこの経験を日記という形で書かれたものです。この本のなかで、IWPについて言及している過去の参加者の文章の紹介もあるので、それを手掛かりに他の方の文章も芋づる式に読んでいます。先日読み終わったのは、やはりIWPに参加し、そこでの経験を記した柴崎友香さんの著書『公園へ行かないか?火曜日に』です。
生活の変化。世界中から集まった参加者達。背後にその人が住んでいる地域、文化圏の歴史が横たわっている。彼らは、交流をしながら、「Writing」を通して理解への糸口をさぐっていきます。3ヶ月の滞在は、旅行で締めくくられます。なぜかというと、「旅行をすれば帰りたくなるから」。そのような終わり方になるほど、プログラムを共にした仲間との別れが耐え難いものになっていることが印象的でした。
そして、共通のものに対する経験が、書き手によって異なる視点や技術、方法によって作品となっている、その比較を楽しむことができて面白いです。
過去の参加者の1人である水村美苗さんが、IWPの経験について書いた文章が『日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で』に収録されています。水村美苗さんは12歳で渡米、それから20年以上アメリカで暮らしています。この本は言語についてのエッセイですが、その文脈の中で、また水村さんのそれまでの経験フィルターを通しどのように語られているのか知りたくて、この本が気になっています。
まとめ
UNDER TSUNDOKUをやってみてつくづく2人とも本を探すスタイルが違うことがわかります。(苦笑)筆者(妹)は自分の体験に基づいたキーワードから引っ張ってくるタイプで、姉は本の中で言及があった本、関連する本を芋づる式にずるずると引っ張ってくるタイプ。来月のUNDER TSUNDOKUはどうなるのか。そもそも来月の自分はどんな状態なのか。一寸先も読めないですが流れに身を任せてゆるゆる進んでいきたいと思います。