魂とパーソナリティの行方
※不謹慎な内容を含みますが、ご了承下さい。
冷たくなった体
先日、古い友人の葬儀へ参列してきた。
彼と最後に会ってからもう十五、六年経っていて、直接の連絡先も知らず、決して懇意にしていたとは言い難い。
しかし、だからこそ、会っていなかった歳月の重みを、病に冒されすっかり変わってしまった姿から感じた。
そして、冷たくなったその体に触れると、若かりし頃の彼との思い出や、ひとづてに聞いていた彼のその後の人生が走馬灯のように頭に浮かんだ。それはきっと私以外の参列者もそうであったろうし、残されたご家族は我々とは比べ物にならないほどの想いが溢れたことだろう。
彼について語りたいことは沢山あるが、個人の特定を避けるため、これくらいにする。
五感で得る情報
「死体」といえば非日常的だが「ご遺体」といえばそうでもない。中年ともなれば、ご遺体のあの湿ったゴムの様な感触を何度か経験していることだろう。
今回、久しぶりに直接にご遺体を見、触れ、葬儀の場を五感で感じて、改めて色々なことを思う。何より考えさせられたのは、ご遺体に宿る或いはご遺体から引き起こされるパーソナリティ(個人の情報や記憶)の重みと濃度だ。これについては、葬儀に参列しなければわからないことだろう。
前述の通り、友人のご遺体に触れたとき、昔の思い出やひとづてに聞いていたその後の人生が走馬灯のように頭を駆け巡った。もちろん彼の訃報を聞いたときも同じように走馬灯は浮かんだが、彼に触れた瞬間のものと比べたら濃密さがまるで違う。それだけ「死」に直接触れるというのは、人間にとって強烈な体験なのだ。
死体は(そんなに)怖くない
ところで、普段からホラーを嗜んでいる身として、葬式帰りにふと思った。別に、怖くなかったな、と。いや、友人のご遺体なのだから当然だし、不謹慎なのは自覚している。
余談であるが私の祖父は轢死している。その為、損壊した遺体の身元確認という珍しい経験もしているのだが、その時も別に怖いとは感じなかった。身内なのだから当たり前かも知れないが。
それでは全く面識のない人のご遺体はどうだろう。ご遺体と二人きりのシチュエーションなんかでは少し怖いかも知れないが、それは全く知らない人だからであり、生きている人間への人見知りと大差ない気がする。
その他、今まで葬儀に参加した記憶を思い返してみても、やっぱり怖いと思ったことはない。
あれ? もしかして、死体、ご遺体そのものは怖くないのではないだろうか。
閑話(怪談話には、身内の葬儀を舞台としたものも少なくないが、それは葬儀という非日常感や死から連想される陰鬱とした雰囲気からの発想であり、ご遺体そのものが怖いというのとは少し違う気がする。「気持ち悪い」や「気味が悪い」という感情を抱くのは古今東西あることで、死への忌避感は人間として当たり前の感覚なのかも知れない。日本人には「ケガレ」の思想もあるから仕方がない。また古典や海外などの話には、死亡確認技術の低さなどからくる死者蘇生の実例が影響していると考えられる)閑話休題
死体を見たら誰だってびっくりするよね
死体は全く怖くないのだろうか。
結論から言えば、怖くないと思う。
殺人現場で死体を見たら、怖いか? いや、そりゃびっくりはするし、ショックは受けるだろう。周りに犯人が潜んでいるかと想像したらめちゃくちゃ怖い。でも死体そのものが怖いわけじゃない。
事故現場ではどうか。まさに事故の瞬間を目撃していたら、自分の身の危険を感じて当然怖いだろう。通りがかりに見かけたって、そりゃ死体が転がってたらショックを受けるだろうし、自分の身に置き換えてイメージしてしまい恐怖を感じる可能性もある。でも死体そのものが怖いかというと違うだろう。
その他、色々なシチュエーションを想像してみたが「死体そのものが怖い」という状況がどうしてもイメージ出来なかった。結局は死体を取り巻く状況やそこから想起されるものに対して危機感を抱いているだけであり、そこに恐怖心があったとしても、死体そのものが怖いということはないんじゃないかと思う。
どうして死体は怖くないのか
ではどうして死体、ご遺体そのものは怖くないのだろうか。恐らく、友人の葬儀の際にご遺体に触れて感じた、ご遺体に宿る「パーソナリティ(個人の情報や記憶)の重みと濃度」が謎を解く鍵となる。当然ながら、死体は自然発生するわけではなく、そうなる前にはひとりの人間としての人生があったわけだ。そう考えれば怖くないのも当たり前である。だって、死んでいるとはいえ、同じ人間なのだから。
生きている人間に対しては、どうもパーソナリティの所在が「魂」だとか形のないものとして宿っているように語られることが多いように思う。しかし、その「魂」が抜けた後の死体の方にこそ、年輪のようにその人のパーソナリティが刻まれているのではないだろうか。第六感でしか感じられない魂よりも、五感で感じることの出来る死体の方から得られる情報量が多いに決まっている(少なくとも視覚・触覚で2倍、嗅覚も入れたら3倍だ)。
だから死体そのものは怖くない。眠っている人間と大差ないのだから。
ゾンビの怖さ
ところで「死体そのものが怖い」というシチュエーションを想像したとき、ゾンビの存在が頭を過った。
確かに、ゾンビの見た目は怖い。ただ、それは生きている人間だって見た目が怖ければ怖いと感じる。
ゾンビは死体だから怖いのではなく、襲ってくるから怖いのだ。話が通じないから怖いのだ。感染するから怖いのだ。(これ以上)死なないから怖いのだ。大人しく死んでいてくれればただの死体と同じであり、別に怖くもなんともない。たぶん。
幽霊の怖さ
体から抜け出た魂の方を考えてみる。それはすなわち幽霊だ。私は幽霊が怖い。どうして幽霊は怖いのだろうか。
それはやはり、肉体にパーソナリティを置いてきてしまっていると、誰もが無意識に感じているからなのでは無いだろうか。生前の記憶を持ち、生前と変わらぬレベルでコミュニケーションが取れるのであれば幽霊もそんなに怖くないだろう(アニメやマンガで見られるように)。しかし、どうやら人間は、幽霊をそんな存在であるとは考えていないようである。
見えない、触れない、コミュニケーションが取れない(困難である)、というのは幽霊に対する古今東西の共通認識だ。そのように幽霊はどこかしら「欠けた」存在である。死体のように五感全てで触れることが可能な存在とは違うのである。あとはゾンビが怖い理由と同じだ。コミュニケーションが取れなくて襲ってくる相手が怖くないわけがない。
おわりに
歳近い友人の死は初めてだったので、今回の葬儀では心から悲しいと思ったし、途轍もないショックを受けた。「死」とは恐ろしいもので、受け入れ難く、残酷だ。
しかし、死体と接することは非日常でありついつい忘れてしまうが、死体はそのものは怖いものではないのだ。少し前まで生きていた、人間そのものなのである。そこに刻まれたパーソナリティを無視して、ゾンビや幽霊と同列のものとしては決してならないのだ。
ホラー好きとして、またホラーの創作をしている者として、そのことは決して忘れないようにしたいと思う。
R.I.P