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「小学校の頃の思い出」

 平成6年5月2日の日付の書付がでてきた。
 どうやら、小学生?がお年寄り(おばあちゃん)に聞いたものらしい。
 おばあちゃんのとなりにはおじいちゃん。

<ここから>

 毎年七月の暑いころになると、上級生が鎌をもって、岩関のほうまで砥草を取りに行った。上級と言っても、その頃は、高等科も併合されていたから、その生徒たちのうちの〔川上〕(地名)に住んでいたものが頼まれたのだと思う。わたしらは取りに行った覚えがないから。
 そうだなあ、おれらも取りに行った覚えがないなあ。

 明日は大掃除、といったら、次の朝には砥草が山と積んであった。大掃除の日というのは、あと何日かで夏休みになるという日だ。
 学校中を砥草で研いだ。たぶん昼には終わった。

 だが、なんといっても楽しかったのは、机洗いだった。これは一日仕事だった。
 二人掛けの机を、それこそ二人で棚えて(二人なら机の端をそれぞれ持って平らにして運ぶこと)すぐ裏の鳧舞川へ持って行った。
 蓋つきの机で脚も木で出来ていて、こどもの力では重かったのを覚えている。一人がけの椅子もあったけれど、二人掛けのベンチのような椅子もあり、その椅子が重い。
 低学年の分も洗ったのだから、三年になってからか。
 運ぶのも二人。洗うのも二人。そのとき一緒に座ってたもので、女同士、よいしょ、よいしょと働いた。一年間の垢で、机ばどれも真っ黒だった。何かで名前など彫ってあったりしょうもない机もあった。それを砥草でごしごしこすった。
 ああ、きれいになったなぁというくらいまっ白になった。

 だからうれしかったかって?別にそれほどでもなくて、当たり前だったんだろうね。

 まだ土手、まぁ、ちゃんといえば築堤だね、その「築堤」がない頃で。
 歌笛橋もだいぶ低かった。
 その橋の上と下とで洗う。そこらあたりは、深みを除いて、机、机。
 そう、水の深さは机の高さの半分くらいだった。けど、まあ、みんなびちょびちょに濡れた。
 それも面白いうちだった。

 そんなことで一日中、何度も往復した。

<ここまで>

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