友達が「沖縄の新聞社に就職したい」と言った。
就活をしている友達に、行きたい企業とかあるの?と聞くと、「沖縄の新聞社に就職したい」と言った。
理由は、「沖縄の米軍基地問題を報じたいから。」だそうだ。
彼女は、学校の授業で、沖縄に行き、米軍基地問題について現地で学んだことがある。そのときに、「これをもっと報じるべきだ」という気持ちが芽生えたらしい。
自分にとっては衝撃的だった。かっこいいと思った。
いわゆる”社会問題”に当事者意識をもって、自分の意見を持っていることがかっこいいと思った。さらに、問題に感じたことを、自分の力で変えていこうとしていることがかっこよかった。
かっこいいと思うと同時に、自分は自分のことばかり考えているなあということに気が付いた。正直、興味のある社会問題が思い浮かばない。将来やりたいことも、自分がどうやったら幸せに生きられるかを考えて出てきたことだ。自分にばかりベクトルが向いていることが恥ずかしくなった。
社会問題に鈍感になったのはなぜだろう?
高校生の頃のほうがよっぽど社会に対して問題意識を持っていた気がする。それはおそらく、今の私は触れる情報が少ないし、偏っているからだ。家にはテレビが無いし、SNSで目に入ってくる情報も、自分の興味分野でしかない。自分の情報が偏っていることは、これまでも気づいてはいたが、とくに危機感は持っていなかった。でも、今日はっきりと、「このままじゃやばいかも」と思った。21歳にもなって、自分の生きている世界、日本のことを全然知らないのはかっこ悪い。まずは知ることから始めようと思った。(とりあえずTwitterとLINEでニュースのアカウントをフォローしてみた。)
社会問題を、どうしても他人事として捉えてしまうのはなぜだろう?
「社会問題を知っても、自分には関係ないこととして見てしまう自分がいる。だから、自分でその問題をどうにかしようと思えるのがほんとにすごい。」と友達に伝えた。友達は「問題が目の前に現れてきたら、自然とそういう気持ちにもなるんじゃないかな」と言った。確かに、実際に自分の知っている人が苦しんでいる姿を見れば、自分の心も痛んで、他人事ではいられなくなるだろう。と思った。
でも、その心の痛みを私は直視して、行動に繋げられるのだろうか。分からない。やっぱり自分で変えようとするのはすごいことだと思う。
何かを知って、心をうごかされて、行動する。大切なことだ。それを積み重ねていくことで、自分の道が拓けていくんだろうなあ。小さなことでもいいから行動したいと思った。
大切なことを気づかせてくれてありがとう、私の友達。
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