【元教員のホンネ】教員、辞めてよかった?辞めなきゃよかった?
こんにちは。とっておキッズです。
私は昨年度末まで教員でした。最後の年は1年間休職したので、現場から離れてから1年半以上経ちます。
現在は転職し、会社員+個人事業主の2足のわらじです。
noteでは教員向けの記事を発信しています。自己紹介のようなものを置いておきますね。
今日は、教員から転職した私が、「辞めてよかった」と思っているのか、それとも「辞めなきゃよかった」と思っているのか、という話をします。
noteを見ていると、転職や退職を考えたことがある先生、まあまあの割合でいらっしゃるのかな?という肌感でしたので、この記事がそういった先生方の参考になれば…!という思いで書きます。
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では、いつものように見通し(目次)をどうぞ。
結論
辞めてよかった。でも、「辞めなきゃ良かったかもな」と思うことはある。
そもそもなぜ教員を辞めたか
前の節が1行(スマホだと恐らく2行)で終わってしまいました。文章なんて簡潔であればあるほどいいですからね(「100文字で済むことを2000文字で伝える」でお馴染み、私の大好きな作家さんである岸田奈美さんは別です。岸田奈美さんの書く文章はデザート。別腹のように、目と脳が疲れていてもいくらでも読めます)。
では、ここから詳しい話をしていきます。
私が教員を辞めた大きな理由は、「疲れてしまった」と「このまま教員を続けたとしたら、心身ともに健康に生活する未来を想像できなかった」、この2つです。
疲れてしまった
「疲れてしまった」は結果論かもしれません。人間関係にも疲れていたし、物理的にも疲れていました。
◇人間関係
感情的な人はとことん感情的で、不機嫌・悲しみ・怒りを大人にも子どもにもぶつける。「何でこの人教採受かったの?」と思えるような先生もいる。でもそんな先生ともうまくやらなければいけない。ありがたいことに、「先生は誰とでもうまくやっていけるよ」とよく言ってもらいましたが、それはこっちが我慢していたからにすぎません。嫌なことを言われても笑いにしてうまくかわす、機嫌の悪さをぶつけられても同じ態度で返さない、嫌な気持ちを顔に出さない、そういう我慢の積み重ねが「誰とでもうまくやっている」に見えていただけでした。いい人と思われるのは長期的に見れば大きなメリットでしたが、「いい人は損」と、今では思うようになりました。
人間関係が嫌になって辞めるのはどの仕事でもよくある話です。教員に限ったことではないので、「人間関係が嫌だから教員を辞めたい」と思っている先生には「辞めない」という選択肢をお勧めしたくなります。嫌いな先生とうまく関わるorそもそも関わらないためのテクについては、別の機会に記事を書こうと思います。
◇物理的な疲れ
他の業界、例えばサービス業などでもそうかもしれませんが、教育には「天井がない」「正解がない」という怖さがあります。もっと良くしたい!と思ったら、いくら時間があっても足りません。
「授業は生もの」、教育業界ではよく聞く言葉です。前もって準備をしていても、「この教材ではダメだったか…」「想定よりできた/難しかった」「これは大ヒットだった!」など、子どもの反応を見て次の授業の内容を変えることは多々ありました。特別支援教育は特にその側面が強いので、「いい授業をしたい」と授業の質にこだわり、その結果自分の時間とお金*をたくさん使うことになりました。
授業の質にこだわる=確実にいい授業ができる、というわけではありませんでしたが、丁寧に作った教材はやはりヒット率が高い印象はありました。チームの先生と協力して教材を作れば、勿論授業準備も半分の時間で済むのですが、作業が雑な先生に任せると結局後から直すことになったり、自分の伝えたものと全く違うものが出来上がっていたりして、「一人でやった方が早い」という考え方になってしまっていました。そりゃ仕事量も増えますよね。
また、若手(のうちでも特に男性教員)はとにかくガンガン仕事を振られるので、授業準備だけでなく、行事や部、委員会などの仕事もたくさんありました。
その上私はお節介オバケで、近くにPCの操作で困っている先生がいれば手伝い、後輩が落ち込んでいるという話を聞けばお菓子を持って教室まで行き、頼まれていないのに職員室のシュレッダー掃除もしていました。感謝してもらえるし、それらは完全に自分の好きでやっていたので全く嫌ではなかったのですが、、、
当時の自分に冷たい言い方をするなら、勝手に抱え込んで勝手に疲れて勝手に潰れた、という感じです。今思い返せば、やらなくていいことがたくさんありました。辞めるまで気付けなかったけれど。
心身ともに健康に生活する未来を想像できなかった
「この仕事、いつまで続けられるだろう?」と初めて思ったのは初任の時でした。同僚たちと半分冗談、半分本気で「いつ辞める?」と言い合っていました。当時よく言っていたのは「基本的人権がない」。昼食をとる時間がなく、トイレにも行けず、血が出るまで噛まれたり叩かれたり、残業代が出なかったり…。そういうことを指して言っていました。それでも子どもと関わる楽しさ(いくら噛まれても、どの子も本当に可愛くて大好きでした)、授業がうまくいったときや子どもの成長を感じたときの喜び、年に2度あるボーナス(現実的!)などを味わうと、辞めたい気持ちと続けたい気持ちのせめぎ合いでしたが、パワハラを受けたことをきっかけに、「辞めたい」に大きく天秤が傾いたように思います(パワハラの話はまた別の機会にします)。
また、教員として働いている間、体を壊して病休に入ったり、退職したりする先生たちを何人も見て、教員を長く続けるには何かを犠牲にしないといけないのでは?と思うようになりました。心身の健康だったり、時間だったり、家族や同僚からの評価だったり…
定時や時短で帰っている先生が「あの人いつも早く帰るから何も相談できない」と言われている。ベテランの先生が夜の2時まで後輩の指導案作成に付き合って職員会議でうとうとしている。頑張りすぎて病休に入ってしまった先生が「あの人、いつ帰ってくんの?笑」と陰で言われている。管理職の先生たちは疲れ切っている。私は一度、教頭先生と二人きりの車内で「失礼でしたらすみません、教頭先生の残業時間って月どれくらいですか」と聞いたことがあります。200時間と言われた時に、「教員を続ける未来はない」とはっきり思いました。教員という仕事は本当に楽しいけれど、自分はどうしてもこだわって仕事をやりすぎてしまい、体を壊すまでやってしまうだろうという確信がありました。
そして、病院で処方された睡眠薬を何錠飲んでも眠れなくなった頃、私は教員を辞めると決めました。
教員を辞めてどうなったか
ここからは有料部分とします。お金のことや福利厚生のことなど、転退職を考えている方にとって有益な情報も入れてありますので、ぜひご購入いただければと思います!
では、教員を辞めて良かったこと、悪かったこと、それぞれ3つずつ挙げて話したいと思います。
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