見出し画像

元推し

ある日の昼、突如「大切なお知らせ」と書かれたメールがやってきた。

そのメールでは、推しが結婚したと報告していた。

一瞬、目の前の画面、いや、現実の景色が確かに歪んだ。

その報告は私が最も恐れていたものだったからだ。

結婚はめでたいものだ。
そんなことは嫌と言うほど分かってる。
推しならば、好きな人ならば、その人の幸せを喜ぶべきだろうと言われることも分かっている。
友人の一人からは「素敵な人と結婚したね。おめでとう」と言われた。

人の感情はそんな簡単に、綺麗に片付けられるものだろうか。コントロールできないものだと多くの他人(ひと)が知っているのではなかったのか。

現実には色んな背景があることを他人(ひと)は知らないのだ。

口に出来るとするなら、ただ「悲しかった」だ。

報告を聞いた時は泣いてもいない。
随分と日が経って、不用意に推しの音楽を耳にしてしまった時に、ふと涙が流れたのだ。

私はその報告があった日を境に、その人を推すことを辞めた。
そして、すぐさま推しになる人を探した。
あくまで、元推しを忘れるために、埋めるために、である。
けれども、いくつも空いた穴はほとんど埋まることはなかった。

私はただ日々をやり過ごすしかなくなった。

3か月経つと、チラチラと元推しのSNSを覗くようになった。

半年も経てば、テレビに出ているのを見ていた。しかし、見事に結婚したことを思い知らされて、再び落ち込んだ。にもかかわらず、数日後、ライブをすると聞くと、チケットを購入しようとしてしまった。

愚かだと笑われるだろう。

しかし、ある日大好きな音楽を聴けるようになって気付いたのだ。

感情は自由だということに……。

#創作大賞2024
#エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?