「なんかよくわからないけど、好きなことに熱中してる推しが幸せそうで自分も幸せ!」
っていう考え、ダメだよなあという自戒。
私が好きな作曲家・LindaAI-CUE氏は、特撮やロボットアニメがお好きなようで、それに関するツイートをよくされている。
それを見るたびに自分は「なんかよくわからんけど、幸せそうなLindaさんが見られて楽しいなあ」となる。
でもそれって、ただ氏の好きなものをダシにして「推し」を消費しているだけだと思うのです。
自分の知る芸能人の中に『パズル&ドラゴンズ』(通称:パズドラ)が好きな人がいる。
で、彼がパズドラの話をしはじめると、ファンは「よくわからないけど幸せそうな○○君が見られて嬉しい!」的な反応をする。
自分はそれを見て「そういう反応ってパズドラに対して失礼じゃないのか? 自分もプレイしようとか思わないのかな?」と疑問に思っていた。
しかし、自分も結局は同じ穴の狢だったというわけである。
推しが好きなコンテンツだから触れてみようというのはダメだとは思わないし、むしろたいへんよいことだと思います。
異文化との出会いの一つ一つが自分という人間をつくるわけで、そのきっかけが好きな人だというのはすばらしいことですよね。
しかし、触れようとも思わないのに、ただ幸せそうな推しを見て満足感を得ようという考えは、推しとコンテンツの双方に失礼だと思う。
自分は別に特撮には興味ないんですよね。
前までやっていた『ゼンカイジャー』や、いまやっている『ドンブラザーズ』はけっこう気になるけど、まあそれくらいかな。
ロボットアニメも『機動戦士ガンダム』シリーズは少し気になるかなというくらい。
1ミリも興味がないのに、推しが好きだから触れるというのもそれはそれで失礼。なので、自分が特撮やアニメに触れることはおそらくないでしょう。
だからLinda氏と、氏の好きなコンテンツを「消費」するのはもうやめる!と、noteの切れ端で宣言する。ただそれだけのお話です。
……なんかイマイチ締まらないから、きたさいたまでも貼っとくか。