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この身、この血肉、一片までお寺に捧ぐ

父が亡くなってからというもの、1日たりともお寺のことを考えない日はない。

特に、住職になって初めの頃は、本当にありとあらゆることをお寺に活かせないかと考えていた。

「これはお寺に使えるな…!」

と外食に行こうが、水族館に行こうが、どこに行こうが、その場でトイレを借りたらそのトイレにある張り紙やらなんやら、もうほんと、ありとあらゆることを貪欲にお寺につなげ分析していた。これはお寺に使えるな…!

よく「お寺さんはお休みあるんですか?」とたずねられるが、正光寺の住職に限っては本当に休みがない。というより、休まない。

「えー!?ずっと働いてるのしんどくないですか?」とも聞かれるけれど、ずっと働いてるという感覚もない。

ずっと生活をしている。

みんなと同じように。1日1日を。
ただ、その生活の中心がお寺なだけ。


朝7時に起きて夜0時に寝るまで、1日17時間、お寺のことを考え、行動していた。

こう話すと信じない人もいる。

嘘だと思ったら私の家族に聞いてみてほしい。


家族からは、本当に心配された。

母親からも妻からも

「いい加減休みなさい!!」と何度も叱られた。

それでも、1ミリも片時も、お寺の運営が頭から離れない。

なぜ、そこまでお寺のことをしていたのか、できたのか。

原因は当時から明らかだ。

私を突き動かす原動力

それは

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1,451字

2024年11月廃刊です。

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