子どもとの出会いで教師は成長する~仲良しさんクラスの子ども達編エピローグ~(前)
出来事ごとに綴って行けたら。そんな思いはいつもあるのだけれど、
どうしてもその子達の思い出を振り返りだすと、時系列をなぞってしまいます。
そんな中で、今回は、仲良しさんクラスの子ども達との一年の中で、
自分の思い出に残っている出来事を綴ってきました。
このクラスの担任を引き受けたいきさつは、
長い長い今回の話達のプロローグにて紹介した通りでしたが、
それまで、特別支援のクラスを受け持ったことがない中で、
果たして何が正解なのか、何が失敗なのか、未だにその答え合わせは完結していません。
それでも、現在この子達は、新法で言うところの新成人となり、
各々の人生を歩んでいるとの知らせを送ってくれた子達もいます。
一方で、中学を卒業して以降、どうなったのかなと気になりながらも、
その後どうなったかが分からない子達もいます。
あの一年の中で、一つでも多くの自信を贈ることが出来ていて、
それが子ども達のその先に、少しでも役に立っていればと願うばかりです。
そして、この一年間は、自分の子どもとの向き合い方、
教師としてのあり方を、大きく成長させてくれた一年間だったと、
振り返るように綴りながら、再確認させられました。
中でも大きく変化した自分の中の価値観は二つありました。
一つは、「学校は、行かねばならない所じゃないけれど、それは一方でとても冷たい事でもある。」と言う事です。
子どもにとって学校に行くことは権利であって、義務ではない。
義務教育の義務は大人にかかるものである。
それは自分の中で消化できていた事なのだけれど、
この年に受け持った、受け持つより以前から学校に来ていない、
一人の子どもとそのお母さんとの関わりは、
【義務教育って何ぞや?】を衝撃的に考えさせられるものでした。
その子のことについても、今回の仲良しさんクラス編の中で触れましたが、
一年間の出席は実質0日でも、日本の小学校では、
『小学校の全過程を修了したことを証する。』
とはっきり書いてある卒業証書が授与できるのです。
教科書に書いてある内容や、6年間学校で過ごす中で培われる社会性や、
自分自身の人間としての成長のための経験を、何にもすることなくても、
その地域に住んでいてその学校に籍を置き、
12歳になった年の3月末になれば、
小学校での全過程は修めた者であるとみなされるわけです。
そのまま中学校でも、3年間、何であろうと籍を置いて年を重ねれば、
中学校の前改定を修了したことを証されて、
その子に対する教育の義務は終了してしまうのです。
直接かかわった者からすると、もうこれはちょっと頭が混乱してしまう事象でした。