義務教育の義務は子どもの義務じゃないからこそ、伸ばす支援が大切だ(後)
「おー、かいくん、きたねー。」
あまくんやあんちゃんが嬉しそうに扉の方を見る。
眠そうな顔だけど、かいくんが朝の登校時間中に学校に来た。
家庭訪問の次の日。自分でちゃんと行きなさいの前に、
弟たちを送るときに学校の近くまで一緒に連れていくから、
ひとまず起きて車に乗りなさい。というところから始まった、
『かいくん学校に来るよ作戦』
眠たそうなかいくんに、昨日は何時に寝たのかと聞くと、
「…3時くらいまでゲームしてた。」
とのことだった、そりゃ眠い。だが朝こうして教室まで来たのは、
二週間ぶりのことで、クラスの仲間は、喜びもお説教も、手助けも、
まるで毎日会っていたように、遠慮なく、自然体で関わってくれる。
そしてそのことに、かいくんもいつものことのように体を動かし始める。
なるほど、仲良しさんクラス1組の面々にとって、
「学校に来ない事」「学校に来れない事」「家から出たくないこと」は、
何も特別な事ではなくて、いつ、どのタイミングでだれにでも起こりうる。
そういった【日常にあること】なのだというのが伝わってきた。
そんな認識のなんと心地よい自然体な事だろうと感心させられながらも、
かいくんが、『学校に来たくない理由はないのにルーズさで来ない』のは、
少しでもこの一年で改善したい。
そのために、仲良しさんクラスの仲間にも力を貸してもらおう。
そう思っていると、はやくんが話しかけているのが耳に入った。
「今日まだ家庭訪問期間で1時半帰りだから、かい一緒に遊ぼう。」
その会話にかずくんもはいり、
「僕も今日は遊べるから、かいくんちで遊ぼうよ。」
かいくんの方は時に嫌がることは無く、
「いいよ、じゃあ俺の家に集まるんやね。」
そんな会話が進んでいく。仲良しさんクラスに来れば、
子ども同士の交流は自然と日常とリンクして深まっていく。
そうなって行けば、一日一日のリズムが朝方に戻ってくる。
そうすると、夜に眠たくなって、睡眠不足も解消される。
とんとん拍子にうまくいくことは無いだろうけど、
地道に毎日を重ねていくようにしよう。明日も学校の来ようと、
思って帰らせられるようにしよう。そんな気持ちを抱きながら、
朝から聞こえてくる会話が、かいくんが来てくれて沢山しゃべりたい、
そんな空気感であることを嬉しく受け止めた。
その数日後、GWの連休を挟んで、またかいくんは休みがちになる。
この間の数日も学校に来ると楽しいと伝えてくれて帰っていた。
お家に電話をすると、また夜型に戻った生活になっていたと言う事だった。
あゆ先生にクラスを任せて、今度は自転車でかいくんの家まで行く。
家に入れてもらうと、パンツ一枚で仏頂面(眠たい感じ)のかいくん。
「目は開いているね。言葉も聞こえているね。」
仏頂面のまま頷く。
「私の言う事なんか聞く気はないんですよ、この子は。」
朝の弟君たちの送迎でも手いっぱいのお母さんは、
一歩下がったかいくんに、じっくり向き合う余裕はない。
「じゃあ、今日は先生と行くよ。」お母さんにも了解を取り、
ランドセルは僕が乗ってきた自転車のかごに入れて。
かいくんと一緒に徒歩で学校へ戻る。
根気強く一日ずつ。かいくんが朝起きるのが習慣になっていくように。
個性が強くても、学校が嫌いでないのなら。
かいくんが大人になった時には、
サボり癖に負けないかいくんになっていますようにと願いながら。
義務教育が子どもの義務でないからこそ、
その子が義務に感じてつぶされそうなのか、そうでなくて、
背中をちょっと押してあげたり、一緒に手を引っ張ってあげるだけで
楽しいと思っている日常に入って行けるのか。
その見極めと、適切な支援が大事になっていく。
その子の行動と環境と心の置かれている状況に、どう寄り添っていくのか、
見放さず、手放さないように。それが今一番大事な事なんだ。