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6の4の大王は誰になる?(2)
「けどやっぱり研究している人の中には邪馬台国(やまたいこく)と、大和国(やまとこく)似ている発音だから、邪馬台国が国を治める基盤になった国であると考える学者さんもいらっしゃるし、一方で、みんなと今年修学旅行で行く吉野ヶ里遺跡が、その規模から、邪馬台国であったのではないかと考えている学者さんもいる。卑弥呼が魏の国からもらったと言われる金印も、ここ福岡で発掘されているから、邪馬台国は大和国ではない。つまり、日本を治めた国は近畿ではなかったか、卑弥呼の時代ではなかったという説も未だに根強く残っているんだね。」
うんうんと話を聞く子どもたち。
「また、卑弥呼は、そもそも女王というよりは、巫女だったわけで。この時代の巫女は何をする人だった?」
「えっと、、、、雨乞いとか?」
「そう、まじない師のような仕事でもあり、占いでそのむらやくにの大事な事を予言する神様のお告げ的な仕事であり、今の時代では天気予報や、米作農業のアドバイザー的な仕事だっただろうと思われているんよ。果たしてそういった仕事の人が、みんなに命令をする権力を持ちえたか、それだけではやはり難しいと考えてしまうんだけど、みんなはどう思う。」
「確かに・・・。」
「いや、でもめちゃくちゃ当たるんだったら、卑弥呼様の言ったことは間違いないから、従っておこうという風になって、気付いたら卑弥呼様の言ったことは絶対従っておかないと大変な目に合うと変わっていくことだってあるんじゃないかな。」
「いやでも、今みたいに高確率で当たるとは思えんのだが。」
「ぼくは、邪馬台国(やまたいこく)と大和国(やまとこく)の響きが似ている説にダイブ納得したけど。」
証拠の少ない遠い時代ほど、色々な考察ができるという楽しさが伝われば。
そうと思うと、つい話も長くなってしまうのはいつもの悪い癖だが、
6の4の子ども達は小石を一つ投げただけでも、
ぱぁッと波紋が広がるように、子どもたち同士の会話で考えを深めていく。
「でも、じゃあ、なんで一つにまとまっていくことが出来たんだろうね。」
「たしかに。どうやってまとまって行ったんだ?」
歴史好きの子達からは、次なる疑問も浮かんできたようだ。
「じゃあ、次回の社会で、どうやってむらからくにになったかのゲームを作ってくるから、やってみる?」
おお!っと目をキラキラさせる子どもたち。どんなゲームなんだろう。
そんなワクワクを持ち越して、その日の授業はいったん終了したのだった。