見出し画像

不登校先生 (61)

「じゃあ20日からお世話になるよ。」

電話で話していた相手は、高校時代からの親友、たけっさんだ。

たけっさんとは、お互い親元を離れての下宿生活で、

同じ釜の飯を食った仲で、3年間ずっと一緒にいた友だ。

高校時代の親友は、他にも、

こうちゃん・なおちゃん・ちゅうといった仲間がいて、

それ以外にも、ななさん、ちーさん、さっちゃん、などなど。

実は高校の時の僕らは、だいぶ特殊なクラスで、20人一クラスで、

3年間担任も変わらず、全員進学を目指す新設クラスだった。

そして卒業後も、たけっさんとこうちゃんが音頭を取って、

ずっと交友がつながっている関係だった。

クラスメイトの仲間はそれぞれ家庭も子どももいる立派な大人たち。

親友と比べてみると、自分はなんだかいつまでも

独り身で、でも独身貴族などと到底言えない暮らしぶりで。

なのに、何でずっと友として付き合ってくれるのだろう。

時折、少し不思議に思う。

自分など友達になっていても何のメリットもなかろうに、と。

貴賎のない友は、真の友。なのか、それとも、貴賎の恥は己の内にありか。

ともあれ、ずっと、親友としてつながってくれている。

そんな仲間たちは、年に一度、いけたら二度、

3年間この仲間のクラスの担任をしてくれた恩師のもとに集まるのだが、

出不精の僕は、数年に一度の参加で、その度恩師にも、心配されていた。

そんな関係の仲間の中でも、相棒と言えるほどのたけさんに、

11月の終わりの勤労感謝の日の頃にお世話になることになった。

何年も帰っていない鹿児島への帰郷。まだもう少しお金も使えて、

新型コロナの状況も下火に落ちている間に、帰郷しよう。

11月に入り、整体・皮膚科・心療内科のルーティーンで6週ほど経った頃

僕の心は、部屋から外に出てみよう。

そんな気持ちが出てくるまでに回復し始めていた。

たけっさんは、受け入れを了解してくれて、

「引っ越したから、寝る部屋もゆっくりあるよ。」

そう言ってくれた。ありがたい。

そしてたけっさんと、帰郷の目的とスケジュールについて。

打ち合わせを始めたのだった。

↓次話





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?