子どもとの出会いで教師は成長する~仲良しさんクラスの子ども達編エピローグ~(後)
だって、その子は、知識も、人間性も、体力も、一年間何にも成長していないのですから。
それなのに次のステージに行って大丈夫なんですか?いや無理ですよ。
そんなもやもやを持ちながらも、僕らはそれを見送ることしかできない。
保護者が、「この子は家でちゃんと見ていますので、行けるようになった時は行きますので。」と言い、
お母さんの足にぎゅっと抱きつきながら、こちらと会話をする本人を、
僕は結局、自立のきっかけも作ってあげることはできませんでした。
せめて関わる機会を多く持って安心を大きくすれば、
この一年の中で行けるかもしれないな。
そう思っての家庭訪問は、否定的、攻撃的にこそ受け取られなかったが、
あの子とお母さんが、安心して学校に来れるまでには至らなかったのだと、
卒業式の日の午後に、お母さんと二人で証書をもらいに来たその子を、
見送りながら、虚しさを感じたのは今でも心に残っています。
けど結局僕らはそこを、『やるだけはやったけど仕方ない。』
そう割り切って次の年に進むことしかできません。
それはある意味では、その母子を期限付きで見限ったような、
後は個人の責任でと、もっていた責任を放棄したような気分になりました。
あの母子の幸せの形がどんなものかは想像するのが難しいが、
小学校の先生という立場で関わるのには、限界があることをまざまざと見せつけられたような、
大きく価値観を揺さぶられた出来事になったのは間違いないと今でも感じています。
そしてそのことを踏まえて、二つ目の自分自身の変化は、
【自分の土俵でやれる限りのことをやることに徹しよう】
という考え方でした。
もはや、保護者が、本人が拒絶してしまっているならそれ以上は踏み込めないものがある。
だったら僕にできることは、関わった子ども達が、
「学校楽しいから行こう。」
とそんな気持ちをちょっとでも大きく持てるように、
精いっぱいの気持ちと工夫と、向き合い方で、関わっていくしかない。
というものでした。家ごとに様々に事情があり、
子どももたくさんのことを考え、思いながら生きている。
その子ども達の思いの中に、
「学校に行ったら楽しいから行くか。」
という思いを持ってもらうように時間を一緒に過ごしていくことが、
僕が学校の先生としてできる事なんだなと感じます。
そのために、どう動いた方がよかったのか、どんな工夫ができるのか、
子ども達に「ちょっとだけその子に合わせて助ける」方法を、
仲良しさんクラスの子ども達との一年間では、沢山経験できたと思います。
そんな仲良しさんクラスでの自分の成長は、
間違いなく子ども達との関わりや、
パートナーだったあゆ先生によってもたらされたものです。
改めて、そんな素敵な一年間を過ごさせてくれたことに感謝の気持ちを込めて、仲良しさんクラス編は終幕とします。