無力さから学んだこと(前)
前日までの、『お泊りミッションを成功させろ』を書き終えたところで、
このクラスを受け持った一年間で、一番自分が何もできなかった、
そんな無力さを感じたある子どもとの関わり方について、
書き記しておこうと思い立った。。
【ととろん学級思い出日誌】は、子どもと僕のすったもんだが自分にも、
良き思い出として残っているものを、楽しく面白く読んでもらいたい。
そんな思いで綴っていて、ネガティブな話題は、なるべく綴らないように。
という思いもあったけど、自分ではネガティブな気持ちになりながらも、
自分のできる限りで向き合ったことで学んだことや、
価値観が変わっていったことなどが、間違いなく存在していて、
そうして獲得した経験は、間違いなく、自分にとって、
子ども達と向き合う先生としてのあり方で、価値を感じるものがあると、
そう、感じたので、改めて見つめなおすつもりで綴って行けたらと思う。
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こうくんは、ぼくが仲良しさんクラスの担任を引き受ける半年前、
5年生の二学期から学校に来ていない。不登校の児童だ。
担任を引き受けて、あゆ先生から子ども達のことを聞く中で、
「学校に行かなきゃというプレッシャーはなるべく与えないように、でも、積極的につながりに行こう。」
そういうスタンスで、こうくんと校訓の家族と関わっていこうと決めた。
そして6年生が始まって、始業式の日から高くんの家に行く。
玄関先で話すのはお母さんだけだが、新しく担任になった自己紹介と、
よろしくお願いしますの挨拶だったが、こうくんの顔は見れなかった。
その日から、まず、毎日2,3分でも会いに行こうと家庭訪問をした。
しつこいと思われるのではないかと思うが、それも承知で行った。
前の年は、初めの内こそ週に一度だった家庭訪問も、
3学期は一度も行っていないと聞いていたからだ。
お母さんとこうくんの二人暮らしの様子は、玄関からは把握できない。
おそらくお母さんも、毎日の家庭訪問にプレッシャーを感じたのだろう。
1週間ほどで、管理職に連絡が来る。家庭訪問をしないでほしいと。
管理職にも毎日報告をして、つながり続ける姿勢を印象付けておきたいと、
こちらのねらいも話していたので、管理職も、それなら毎日ではなく、
週に一度にするのはどうですか?と提案すると、お母さんは了承した。
学校に籍を置く児童が、不登校だったとしても、
その生存確認など学校にはつながっておかないといけない責任がある。
昨年度3か月近く、家庭の要望だとしても繋がっていない状態だったのは、
学校としても懸念される事案だったので、
週に一度でも家庭訪問に行ける状態を約束できたのは、
こうくんの状態を確認する意味でも、重要なことだった。
家庭訪問を重ねるごとに、お母さんの話し方もリラックスしてきて、
週に一度、こうくんが奥の部屋から顔を見せてくれたり、
「ありがとうございます。」と声を聞くことができるようになった。