不登校先生 (56)
※今回の56話の内容まで、ドラマ【ひきこもり先生】のネタバレが含まれます。ご了承ください。
真の友人になれる人とは、自分の損得よりも、
相手が本当に辛いときに寄り添い、支えることができる人だ。
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ヨーダ君は最初、ヤバい感じのひきこもりの友達として出てきた。
世の中のあらゆることを拒み、自分の親を恨み、学校も否定。
上嶋さんの相談に、命令するように、自分の感情を言葉にして、
非常勤講師を始めた上嶋さんには、罵声を浴びせる。
序盤の彼はそんなとんでもない奴だった。
わずかけど、実生活でつながっている上嶋さんや
支援団体「ひきこもりカレッジ」の長嶺さん(演者は半海一晃さん)とは
双方向でのコミュニケーションができている。
成程、ひきこもり先生のひきこもり感を演出するための役どころなのかな
そう思いながら観ていると、彼自身に突然、絶望的な事件が起こる。
深夜のコンビニで、たしかに生まれた恋愛感情と、
友である上嶋さんが非常勤講師を始めたことをきっかけに、
自分も働いてみようという気持ちが出てきた直後に、
もう治らない、末期のすい臓がんで、余命宣告半年。
絶望の中、友人である上嶋さんに本当は相談したかっただろう。
ところが画面越しのオンラインチャットでの上嶋さんは、
「またひきこもりになっちゃったよ。あの11年が始まるよ。」
おそらくヨーダ君が出会ったばかりの頃の、
いやそれ以上に自分の追い詰めている上嶋さんの表情に、
自分も心の余裕がない中で、
じっと話を聞いてあげることが精一杯だったにちがいない。
「なんで答えてくれないの。声を、声が、聞きたいな。ヨーダ君の声が」
すがる上嶋さんに、自分の絶望など聞いてもらえるはずもなく、
必死の表情で、画面から目を背けることしかできなかった。
そして・・・・次の日。
もはや生きる屍状態の上嶋さんのもとに、
ヨーダ君はやってくる。
ひきこもりで日中外に出ることなど絶対にない彼が
上嶋さんの部屋にやってきて言う
「何やってんだよ、上嶋氏。何やってんだよ。」
散らかった部屋の中、上嶋さんが育てていたけど、
この状態になってその気力もなくなったのであろう、
枯れた鉢植えを手に取る。
「このはなは、また咲くのかな。
上嶋氏、おれ、あと半年だって。すい臓やられちゃっててさ。」
絶望する中頭に入ってくる言葉に、上嶋さんは理解が追い付かない。
そんな中でヨーダ君は、上嶋さんに、一番の笑顔を作って言葉を贈る。
「上嶋氏、すごいよ、本当に。ひきこもりが先生なんてさぁ。」
そして彼に笑顔のまま言葉を続ける。
「上嶋氏、時間があるじゃない。」
嗚咽しだす上嶋さんを、笑顔のまま「がんばれ。上嶋氏ならできる。」
そう言っているように見つめるヨーダ君。
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涙が止まらなかった。ヨーダ君の様に友達に接することができる人が、
絶望と残された時間の葛藤の中で人生を終えなきゃならに事に。
優しい人こそ、誰かを傷つける選択をせず、自分の心に傷を負い、
そして誰にも迷惑をかけまいと、ひきこもる選択をしているのではないか。
理由は十人十色、ひとりひとり違っているだろうけど。
人を傷つけても平気で、誰かが傷ついていることも気にかけることなく、
自分は元気だと思い続けられるなら、どんなに幸せだろうか。
間違いなくヨーダ君は、だれよりも優しい上嶋さんの友人に、
出会うべくして出会った本当の優しさや友情を持った人だった。
だからこそ、上嶋さんのピンチに、自分のことなど置いておいて、
駆け付け、そして励ました。
ヨーダ君の言葉は、上嶋さんに贈っているのだけれど、
なぜか、自分に言われいるようで。自分が励まされているようで。
心が病んでダメになった?生きてるじゃない。時間があるじゃない。
大丈夫、あなたも絶対にまたやれるよ。
一度絶望のどん底に叩き落されたのに、
そのあと15年間も子どもと向き合い続けてきたなんて。
すごいじゃん。そう言ってもらえているようで。
八月の終わり、夏休みの終わりの頃、
「本当に苦しいなら、学校なくて来なくていいんだ」
そう言ってくれるこのドラマに、
僕は不登校を通り越した無職・療養中に出会うことができた。
先生の仕事を今年はやっていない。それでも、
また、子どもと向き合うあの仕事に戻りたい。
砕けた心の腐海の底に、灯ではなく、光る欠片が、ポツン、ポツン
たしかに心の中で煌き出した。
↓次話