桜ノ雨で卒業を(4)
「いや、別に歌わなくても、いいじゃん、ととろん。」
「いや、もうせん!普通に証書渡して、お家の人にあいさつして終わり!」
「出たよ、ととろん先生のめんどくさいやつ。桜吹雪はいいけど、歌いたくないから歌わないじゃダメなん?」
「この歌も含めてみんなにプレゼントと思っていたのに、一回ちゃんと聞く気もないでからに、、、、やったらもうしません。」
「いや、ちょっと聞いてあんまり乗り気じゃなかったら、こう、もっと柔らかく考えるのも・・・。」
「いや、もうしない!」
もうまるで子どもはどっちかという状態になっているが、とにもかくにも、
僕が6の1について、何かしら計画を立てているパワーの源は、
「この子たちをもっと笑顔に、楽しい気持ちにしてあげたい。」
なので、本来ならば、子どもが乗り気でないなら
代替案を用意しておくとかすればいいのに、
事ここに至っての僕はいつの間にか、その計画が一番素敵に違いないという
悪い意味のでの頑なさに、絶対いいものになるからという熱量で、
子ども達に受け入れられなかった状態を、受け止められなかったのだった。
「そんなに言わんでもさ。桜のはやるって言ってるんだから、よくない?」
子ども達がそうたしなめるように返してくるが、
頑なさでも子ども並みにめんどくさい担任は、わがままな返事で返す。
「どうせ、あんたたちは、何にも考えていないだろうと思って、なら一つでも卒業の時に楽しかった思い出を多くしてやろうと思ってたのにさ。もういいよ!」
我ながら本当にひどいことを言ってしまったと、振り返ったら思うのだが、
この上から目線の押し付けな思い出なんて、迷惑以外の何物でもない。
「どうせってなんなん!」
「別に頼んでねーし。」
「そんなにしてもらわんでもいいけどね。」
当然子ども達も頭にくる。
「わかった。だからもうやりません!せっかく桜用の紙も取り寄せたけど、絶対にやらんから!緊張してお家の人にはしっかりした態度を見せられる一日になるために頑張ればいい。それでじゅうぶんだよ!」
と、口げんかになっている12、3名とのやり取りを、
他の子達は、神妙な、沈痛な面持ちで聴いている。
静かに耐えている子たちの方にこそ、
こういう時には気を配らなきゃいけないのに、
当の本人がけんかの真っ最中の、この、子どもより子どもな担任は、
「もういいし、知らんけ!」
と、DVDの電源を落として、黙りこくったのだった。
・・・・今思い返しても、
本当に駄々っ子のような大人ほど面倒くさい、タチの悪いものはなかっただろうなと、
反省しかない態度なのだが、
8年前、この通常ではない出会いから始まったこの子たちの時間に、
一番深くはまっていたのは、自分だったのだと。
この子達のために、もっとしてあげたいと企てたことを。
6の1子どもたちはいつも受け入れて、そしてこちらが思っていた以上に
楽しみ尽くして喜んでくれていた。
だから受け入れられない事なんて頭になかったのだ。
きっと、また楽しい思い出になるからという思いは、
今回押し付けのような形で、子ども達に提案してしまい、
それがはねのけられたことで頑なになった僕と、
6の1の子達との雰囲気は、
なんだかギクシャクしたものになってしまったのだった。
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