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「じしんの、じしんは、じしんで」
子ども達と自信の避難の話をするときに、毎回必ず伝える言葉がある。
それは、「じしんの、じしんは、じしんで」。
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東日本大震災のあった時の記憶は、
5時間目で子ども達を帰したあと、職員室に降りるやいなや、
関東東北がとんでもない事になっていると、
職員室にいた先生たちが騒いでいたのを見て、
テレビを観に行って言葉を失ったことだったように思う。
右から左に、仙台市の街が、サーッと水に飲み込まれていく、
そんな津波の映像だった。大学生の頃に観た、
9.11の飛行機が突っ込む映像と同じくらいのショッキングな映像は、
ショックが大きすぎて現実のものではないのではないかと、
錯覚してしまうような、そんな映像だった。
ともあれ、その後、日を追うごとに、東日本大震災の被害が、
震災だけでなく津波がひどかったこと、
それによって原子力発電所がメルトダウン状態にまでなったことが、
報道されるにつけて、この国で安心して日常を生きるためには、
どうしたらいいのかを、もう一度考えるようになったのは僕だけではなく、
日本に住んでいる多くの人がそうなったと思われる。
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あの震災の出来事から、学校で子どもと向き合う教師として、
子ども達にはどんなことを伝えなきゃいけないかを考えたときに、
いきついた言葉が「じしんの、じしんは、じしんで」だった。
漢字に変換すると「地震の、自信は、自身で」となる。
東日本大震災で亡くなった方の多くが津波で命を失ってしまった中で、
その後になって、あの日、懸命に命を救おうと、
最後まで町内放送を続けた役場の女性がいたことや、
先生の指示に従って、全員で体育館に避難していたら、
もろとも津波に巻き込まれて亡くなってしまった学校があったこと、
日頃から津波に対する非常事態のあり方を訓練していたある町では、
先生達も情報を把握できない中、小学校にとどまっているところに、
中学生たちが大声で「津波が来るぞ!高いところへ逃げろ!」
と言いながら避難する様子に気が付いて、
小学校の全員も避難が間に合った学校があったと言う事、
そんな話を知り、そのことを話しに交えながら伝えるのが、
「じしんの、じしんは、じしんで」という言葉だった。
説明の時にもう必ず話す内容はこんな感じだ。
「大きな地震や津波が来るとき、
それはもう一瞬の判断で生きるか死ぬかだからね。
命を守るためには、普段からどうしなきゃいけないかを、
考えないといけないよ。そして、東日本大震災の時の、
助かった学校と助からなかった学校の話ではないけれど、
先生たちの指示だって、大災害のときには正しいとは限らない。
それどころか、この教室にいるみんなと先生にしたって、
この校区のことをより詳しく知っているのは、
先生よりもみんなの方だから。
だから、大きな地震や津波の避難のときには、
普段からどこに逃げたらいいか、自分の目で確認して記憶しておいて、
まず命を大事にするために迷わず行動しなさい。
『地震の自信は自身で。』
いつでも自分が間違いないと思って動ける気持ちと判断の準備を、
頭の中に残しておきなさい。
そしてそのことを、お家の人ともしっかり話して確認しておくんだよ。」
その後子ども達と、自分の校区で最も高い場所で、
みんなが避難できる場所はどこかを話し合って再確認する。
学校から一番逃げるのに近いのはどこか、
登下校中ならどうするのがより良いのか。
それぞれの方角で避難に適した場所はどこか。
みんなで意見や情報を出し合って、普段遊んでいる公園や、
高台にある目印になる建物について共有する。
何も起こっていないときに、どれだけその意識をはぐくめるか。
「じしんの、じしんは、じしんで」
出会った子どもたちが、命を守れるように。