みんなで楽しむことは、実はけっこう難しい(6)
発案した時には一人でも、その事を気付けばみんなが参加して取り組んでいる。
そういった形になって行けば、お楽しみ会などのイベントは、
「あの人が言い出したからこんなことになった。」
「こんなの聞いてないし。」
「最初からそんなにやる気なかったし。○○たちがやりたかっただけ。」
など、そういった言葉が出てこなくなる。
みんなの中に、このイベントは自分が楽しむイベントなのだと感じさせることが出来るかどうか、
そこまで話し合いを詰めて、積んでいくのは時間を根気が必要だ。
それは発案したこたちにも、それを受け取った子達にも言える。
そして、それを見守るこちら側にも。
担任という立場は、決裁権を持っているという点で、
つい、子ども達の話し合いにもどかしさを感じ、
こうしたらいいじゃないかと、半ば強引に、
子どもたちがあーでもないこーでもないと悩んでいる時間を、
奪ってしまいがちである。
それだってアイデアの一つに過ぎないのに、それしかないだろうと押し付けられると、
その時点で子ども達の中の、自分達のお楽しみ会という気持ちは霧散する。
なので、子どもたちにゆだねた時には、とことんゆだねる。
ただし放置ではなく、子ども達の話し合いはしっかりと聞いて参加して、
話し合いが行き詰った時には、助言し話し合いが進むように手助けする。
そういう立場からぶれないでいられるかが、大事になってくる。
大人の思考では、「そんなのどっちでもいいじゃないか。」
と感じるような問題でも、
子ども達の思考では「きちんと決めておかないと。」と思っているものは沢山あり、
それを、どこまで共感することが出来るか。
大人になって子どもと向き合う上で、子どもへの共感力は、
必須であり、一方で難度の高いスキルだと感じる。
ともあれ、突如発案された「お楽しみ会がしたい」の提案は、
2時間ほどの思考の準備しかなかったにもかかわらず、
6の4の子どもたちの意識に、自分たちのお楽しみ会という認識を共有できて、
その上でより楽しむためにどうしようというものになったのが見て取れた。
子ども達は時間割表を見ながら、何曜日の何時間目だったら、
より今回の会を楽しむことが出来るかについて話し合いが進んでる。
ふとこういう場面になると、改めて気づかされる子どもたちの成長に、
さて、こちらも何かプレゼントを用意しないといけないな。
僕も時間割表を見つめながら、
子ども達に何のものづくりをしてあげようかと思いを巡らせるのであった。