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賞の価値は、普遍性と不変性に担保される

11月27日の記念日【ノーベル賞制定記念日】
1895年の11月27日に、スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルが、ダイナマイトの発明で得た富を人類に貢献した人に与えたいという遺言を書いたとのこと。ノーベルの死後、その遺言をもとにノーベル財団が設立され、1901年の11月27日にノーベル賞の第1回授賞式が行われたと言う事で、その事から今日の記念日となったとされています。

賞と共に賞金が、ノーベルの遺産の利子から贈与され、物理学・化学・生理学医学・文学・平和事業の5分野で貢献した人に贈られます。賞は、のちに経済学が追加されているノーベル賞は広く世界にも知れ渡っている賞です。

生まれてこれまでの間に、「すごい賞はノベール賞」とそんな印象だけは強く心に刻まれて生きてきた人は少なくないでしょう。かくいう自分もその一人です。

ただ、年を経て、ノーベル賞の報道を毎年のように見ていくにつけて、

世界のゆがみや、ノーベル賞の政治的利用など、そういった側面も分かるようになると、

果たしてノーベル賞とは、もらうことにそれほど誉れ高いものなのだろうか。と、そう感じるようになりました。

いや、名誉なことだし凄い事なのは大前提なのです。その上で、と言う事で、昨今のノーベル賞、特に平和賞については、どうもノーベル賞を決定する権利のある国の側の見方によって、その決定が本当に普遍的なものなのかを疑問に思う事がありました。

こちらの正義はあちらから見れば理不尽だったり悪になりえることもある。それらを公平に見て、本当にその人に、その団体に、授与されるべきものなのか、

その研究や活動は、真に世界人類に大きな良い影響を与えたのか。

ノーベル賞の歴史が1世紀以上続く中で、その賞のあり方は常に問われ続け、そして考えられ続けねばならないように感じます。

ノーベルがその遺言でノーベル賞を作ることを決めたきっかけが、自らの発明が、戦争の中でどれだけの悲劇を生むことになったか、その発明者としての汚名を払拭すべく賞を作ったとされるように、

この賞が普遍的で不変的な価値を持ち続けるものであるように、私たちは考え続けなくてはならないように感じます。

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