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ただ、やれる限りの精いっぱいで向き合っていこう~仲良しさんクラスプロローグ(3)~
仲良しさんクラス1組の子ども達が一番苦手に感じていること。
それは間違いなく、通常学級との交流活動だった。
特別支援のクラスの子ども達は、その個性に合わせて、
通常学級との交流活動が組み込まれる。
ただ、その実態はというと、本当に子ども達の自立支援に適切なのか、
少なくとも仲良しさんクラス1組の子ども達にとっての交流活動は、
子ども達の心に大きなストレスになり続けたままのものだった。
自分を鼓舞して、緊張しながら交流活動の教室に入っていっても、
腫れものを扱うように遠巻きに扱われているのが伝わる。
受け入れ側の担任は、自分のクラスの30人近い子たちで手いっぱいで
当然交流活動に来た子達に、十分に気を配る余裕などもない。
静かにじっと耐えているだけの時間を、子ども達に強いていても、
同じように授業を静かに受けれているから問題ないとしか見ておらず、
子どもの間で、交流に入っていった子たちが、奇異の目にさらされたり、
心無い言葉を投げかけられ傷ついているかについてなど、
把握もほとんどできていない、するほどの余裕も持っていない。
その上で仲良しさんクラス1組の子ども達は、
必死に耐えて頑張っている状況に、安心できる十分なサポートもなく、
ただただ心をすり減らし、自分の心を守りながら学校生活を過ごしてきた。
いよいよクラスの担任が病休になった5年生の3学期は、
そういった、耐えてきたものを爆発させたと言ってもいい。
新年度が始まり、通常学級の先生と、交流の打ち合わせを始めた時、
3クラスのうち2クラスが持ち上がりだったのだが、
持ち上がりの2人がともに、困ったような苦笑いで、
「交流がね、なかなか組んでもらうようにいかなかったのよ、去年は。」
「通常学級のほうにも支援がいるんじゃないかってくらいに落ち着かない子も多くて。すみません、なかなか交流に来ても行き届かない事もあって。」
それは僕に謝る事じゃないだろう。行き届かないって何だ。
じゃあこの子達は?最後の一年も同じように耐えさせろというのか。
腹立たしい気持ちがぐらぐら沸き返ってきていたが、
「では、5年生の時の交流活動をそのまま引き継ぐのでなくて、ちょっと考えて提案させてください。」
と返事した。校長先生が、担任を引き受けるときに話していた
支援補助の相棒のあゆ先生に、昨年の状況を詳しく聞かせてもらう。
あゆ先生は支援補助としてこの学校の特別支援の学級に関わって3年目で、
この学校の特別支援学級の子ども達のことや、
その状況に深く関わっているだけでなく、曇りのないまっさらな心で、
子ども達に寄り添った立場での状況の厳しさを、
しっかりと把握してくれていたので、
前述のように、子ども達は苦しかったことが強く伝わってきた。
校長先生に「あの子達の6年生の一年間を任せます。」
と言われたので、ならば思い切りやってやるかと思った僕は、
「特別支援=スペシャルサポート」
子ども達に良い方法を中途半端なしにやってやろうと考えた。