真っ正面から向き合う覚悟はできているか~『やれる限りやる』自分自身が鍛えられた、5の3の子達との綴り語り~(4)
「それは、・・・大変だったね。一年間よく頑張ったね。」
と、僕はS先生に言葉を返した。S先生は悔しそうな顔のままで、
「いえ、私は、何とか一年担任を降りなかっただけです。やれたことはそれだけで。本当に去年は無法地帯でした。初めてだったですけどね、学校経営そのものが完全に成立させられない状態になってるんですよ。」
「そんなにひどかったのかい。それは気を引き締めてかからないとだね。」
「いえ、とはいっても、その一番大変だった学年は卒業した6年生だったので、6年生が中学校に上がったっていうだけで、もうだいぶ状態は落ち着くとは思うんですが、その6年の中でも一番大変だった子っていうのが、最終的に6年の中では浮いてきて、結果つるんでやりたい放題していた子分のような感じに、4年生の子たちがついて行っていた感じだったので。」
「なるほど、それで4年生も学級が大変だったと。」
「いえ、学年3クラス全部が大変でした。もう3人とも一年倒れずにやり切るだけで精いっぱいだった感じです。ほんと、何にもない日がなかったですから・・・。」
と、滲み出ていた悔しさに、哀しみの気持ちを表しながら、
S先生は去年の状況と、それに対して学校側が何もできなくなっていた経緯などを教えてくれた。
学級が荒れる経験は、自分自身でも経験があるので、
その時の原因は完全に、全て自分(担任)にあったと、
今でも自分自身はそこに後悔と慚愧の念を持ち続けているが、
いまS先生から聞けた去年のこの学校の状態は、
もはやそういったレベルの話では無い。
児童が空き教室を占拠したり、夜中に勝手に体育館に忍び込んで遊んだり、
自転車の鍵を盗んで乗り回し、廊下を走り回ったり。
その上で指導をすれば携帯で親を呼び出し、
親子で管理職や指導を行った教員に、
悪態をつき恫喝して指導したこと自体に反撃してきたそうだ。
それが何度も何度も続くと管理職からして心が折れて、そうなると、
教師集団自体がもうなにも子どもに指導などできなくなってしまっていた。
そんな状態で頑張ってきたのだという。
話に聞いても想像を絶するほどの無法状態で、
S先生も、何とか自分の受け持ちのクラスの子を守り、
状況を壊す子は指導をしていくだけで必死でした。と、話してくれた。
その話を聞いて、教頭先生があれだけ鍵の管理に注意をしていたことや、
校長室が薄暗かったこと、入れ違いになる校長先生が、
何度も「申し訳ない、申し訳ない」と言葉を付けながら、
来年度の受け持ち学年の打診をされたことにも合点がいった。
一番きつかった1年間の後だからこそ、
次の1年でどれだけ変わっていかせられるか、それにかかっているんだな。
S先生の悔しさを、そのままバトンで受け取る気持ちで、
ぼくはS先生に「教えてくれてありがとう。確かに引き継いだよ。」
と、静かに答えたのだった。
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